〜実践編:人事制度を「人を動かす仕組み」から「会社を選ばれる仕組み」へ〜
前回の記事では、TOBや証券取引所改革といった外部圧力によって、日本企業の報酬戦略が「人事部の中の話」から「経営そのものを左右するテーマ」に変わりつつあることを整理しました。

ただ、「じゃあ実際にどう作ればいいの?」という疑問は残りますよね。
制度を変えるときにありがちなのは、「海外の事例をそのまま輸入してみる」「新しいジョブ型を入れてみる」など表面的な対応。しかしそれでは社員も候補者も投資家も納得してくれません。
そこで今回お伝えしたいのが 「三点直結」 という考え方です。
つまり、職務(Job)×市場レンジ(Market Range)×業績(ROIC/CF) の三つを一気につなげる。
これを実現できれば、採用市場でも強く、社員も納得し、資本市場にも評価される。「三方よし」の報酬戦略になるのです。
職務の明確化がすべての出発点
まず最初の「職務」。
これは意外と、日本企業が一番苦手にしている部分です。
ある製造業の企業の例を紹介します。
エンジニアを“技術職”とひとまとめにして処遇していましたが、実際の仕事を見てみると「新規事業を立ち上げる人材」と「既存製品の改良を担当する人材」では責任の重さも市場での価値も大きく違っていました。
「エンジニアだからこの等級、この給与」では、どうしても実態とズレてしまう。
結果、採用候補者からは「仕事内容に比べて待遇が合っていない」と見透かされ、せっかくの内定が辞退されてしまうケースもあったのです。
そこで思い切って職務を定義し直し、「新規事業をリードする人材にはこの責任とこの報酬レンジ」と明確化したところ、面接時の候補者の納得感がまるで違いました。
社員にとっても「なぜ自分と同僚の給与が違うのか」が説明できるようになり、不満が減ったのです。
職務定義をするというのは、いわば「ルールブックをはっきり書く」こと。
スポーツに例えるなら、野球とサッカーで同じ審判基準を適用していたら混乱しますよね。それと同じで、職務ごとのルールを整理することが、報酬戦略の第一歩です。
市場レンジとの接続で“選ばれる企業”になる
次に大事なのは、市場レンジとの接続です。
これも実例を見てみましょう。
あるIT企業では、10年以上も給与テーブルが据え置きのままでした。
求人広告を出しても「競合より給与が低い」と言われ、内定辞退が相次ぎました。
経営陣は危機感を覚え、外部の報酬データを導入して主要職務の市場レンジを洗い出しました。
その上で、オファー面談ではこう説明するようにしたのです。
「この職務の市場水準は○○〜○○万円。当社はその中位水準を採用している。だからあなたが入社しても、市場での価値は落ちません」
候補者からすると「自分のキャリアの市場価値が守られる」とわかることは大きな安心材料です。
実際に内定受諾率は大幅に改善しました。
既存社員にも「自分の給与は市場で見ても妥当だ」と伝えられるようになり、離職率が下がったのです。
市場レンジとは、単に「外の数字」ではなく、「選ばれる企業になるための約束」だと言えます。
業績(ROIC/CF)と直結させる意味
三つ目は「業績」との直結です。
特にROICやキャッシュフロー。
ここを外すと、投資家から「説明不足」と突っ込まれます。
ある上場企業の例では、報酬制度を営業利益と売上に連動させていました。
ところが投資家からは「利益が出ているのに資本効率が悪い」と批判が集中。
経営陣は幹部層の報酬をROIC連動に切り替えました。
さらに一部管理職にはキャッシュフローをKPIにした短期インセンティブを導入しました。
これで何が起きたかというと、現場のマネジャーが「この投資は本当に回収できるのか?」と考えるようになったのです。
以前は「予算があるからとりあえず投資」だったのが、回収シナリオまで意識するようになった。
結果、不要な投資が減り、資本効率が改善しました。
報酬を業績に直結させるとは、「数字で縛ること」ではなく、社員と経営者が同じ物差しを持つこと。
これこそが資本市場に評価されるポイントなのです。
三点直結がもたらすメリット
この「職務×市場レンジ×業績」を直結させる仕組みには、たくさんのメリットがあります。
- 採用力が上がる:候補者に「市場基準で処遇している」と伝えられる
- 社員の安心感が増す:市場と乖離していない報酬は定着につながる
- 成果志向が浸透する:業績連動で「自分の行動が会社の成果につながる」と実感できる
- 投資家に評価される:報酬が企業価値とリンクしていると説明できる
結局のところ、優秀人材は「フェアで、納得感があり、成長できる会社」を選びます。
三点直結の報酬戦略は、その問いに明確に答えられるものなのです。
実践へのステップ
とはいえ、「三点直結を一気にやろう!」と言っても現実的には難しい。
そこでお勧めなのは、スモールステップから始めることです。
- 職務定義を整理する
まずは採用難職種や離職が多い職種を優先して定義する。 - 市場データを取り入れる
報酬サーベイを活用し、社内水準とのギャップを洗い出す。 - 業績指標を試しに組み込む
いきなり全社ではなく、管理職層からROIC/CF連動を導入してみる。 - 社員への説明を徹底する
制度そのものよりも「なぜそうするのか」を伝えることが、納得感につながる。
これは制度設計というより、「会社の姿勢を見せること」です。
社員、候補者、投資家に対して「うちは市場と資本を意識している」とシグナルを送ることこそが、人材定着や企業価値の向上につながります。
結論:報酬戦略を“人を動かす仕組み”から“選ばれる仕組み”へ
報酬制度を 職務×市場レンジ×業績 に直結させることは、単なるテクニカルな人事制度改革ではありません。
それは、「優秀人材に選ばれる会社」になるための条件であり、同時に「投資家に選ばれる会社」になるための条件でもあります。
これからの10年、日本企業の競争力を決めるのは、まさにこの点です。
「自社の報酬制度は、職務と市場と資本をつなげているか?」
この問いに胸を張って「YES」と言える企業だけが、優秀人材を惹きつけ、持続的な成長を実現できるでしょう。


