こんにちは、平康慶浩です。
あるとき、クライアントにこんな質問をされました。
「先生、アメリカの雇用統計が変動したら、株価に影響が出るじゃないですか。ということは、雇用が増えたら景気が良いってことですよね?それって株価も上がるってことですよね?」
確かに、一見すると正論です。
でもマーケットの現実はもっとややこしい。
雇用統計が「良すぎる」と、逆に株価が下がることすらある。
どうしてそんな逆説が起きるのでしょうか。
実は私は人事コンサルタントですが、なぜか大学院はファイナンス研究科で修士号を取得していたりします。
その理由は、人事と企業価値との関係性を解きほぐすため。
そのあたりの話はまたいずれ書くとして、今回は、アメリカで通用している雇用統計と株価の関係、そしてこれからの日本の人事の仕組みのお話をしてみます。
雇用統計が“効く”国、アメリカの特異性
株式マーケットというのは、極端に言えば「期待で動く舞台装置」です。
現実が良くても、想定より良すぎると「金利が上がるのでは」と警戒して売られてしまいます。
悪くても「利下げが来る」と思えば買われることだってある。
要するに、事実ではなく、事前予測に対する答え合わせだといえるわけです。
だから、アメリカの雇用統計は「景気の温度計」というよりは「マーケット(専門家たちの予測)対現実の答え合わせ」として機能しているわけです。もちろんその結果として、株価のナビゲーターにもなっています。
で、なぜそれが答え合わせになるのかというと、アメリカという国は、企業が景気に合わせて即座に人を雇ったり、解雇したりできる仕組みを持っているからです。
最近知られてきていることですが、アメリカの雇用では法律的にも文化的にも、「随意雇用契約(At-will employment)」が基本になっています。
これは世界でも特殊な考え方で、仕事がなくなれば即日解雇もあり得るし、景気が良ければすぐ求人を出す仕組みであり、そういうマインドです。
つまり雇用者数の増減は、そのまま企業の“経済的な決断”の数値化として機能する仕組みと文化があるわけです。
ちなみによく誤解されるのが、アメリカのこの仕組みと文化をとりあげて、「世界では解雇が簡単なのに日本では難しい」、と言われたりします。
けれどもそれは大きな誤解で、日本よりも解雇が難しい国の方が多かったりします。
解雇規制緩和派が言いたいのは、世界、ではなく、アメリカ、と比べての話である点に注意しましょう。そしてそれは、企業価値を高めていくためには重要な視点でもあります。
なお、解雇規制の世界比較についての詳しい分析は、弊社のオフィシャルレポートでも紹介しているので、ぜひご覧ください。
解雇規制に対する国別の特徴 ―実は高くない日本の解雇難易度―
https://sele-vari.co.jp/wp-content/uploads/2025/06/SV_report20250620_ver1.0.pdf
短期雇用でも専門性があれば高報酬が普通にある社会
日本では「雇用=人生の基盤」で、転職は慎重に、正社員は一度入れば一生安泰…という感覚がまだ残っています。
でもアメリカでは、働くということは「市場との契約」です。だから、契約が増えればそれだけ企業に熱がある、と判断できるわけです。
これが“雇用統計=株価のナビゲーター”になる理由です。
アメリカのもう一つの特徴は、「短期雇用でも稼げる社会」です。
エンジニアでもコンサルタントでも、3カ月のプロジェクト単位で2万ドル、3万ドルという報酬で契約することもあります。
無理にフルタイムで雇用されなくても、稼ぐだけなら短期雇用の方が都合がいい場合すらあります。
職種にもよりますが、“成果を出せるスキルがあれば、その時間だけ高く売れる”のが常識になっているわけです。
つまり日本と大きく違うのは、雇用形態にこだわる必要がない、という点です。
大事なのは「誰が」「何を」「どのくらいの価値で」提供しているかということです。
だから、マーケットは雇用統計の数値を見て、「いま、価値ある人材がどれだけ動いているか」を読み取れてしまうわけです。
これが、アメリカで雇用統計が「マーケット(専門家たちの予測)対現実の答え合わせ」として成立している理由なのです。
2025年6月の雇用統計:市場は“強い”にどう反応したか?
さて、実際に起きた話を紹介しましょう。
2025年6月、アメリカの雇用統計は予想を超える内容でした。
非農業部門雇用者数は14.7万人増、失業率は4.1%に改善。
普通に考えれば「いい話」のはず。
では株価はどうなったか?
主要指数は上昇。
この日は、「雇用は強いけれど、インフレにはつながっていない」と解釈されました。
つまり、専門家たちはFRBが急いで利下げを止めるほどではないと読んだわけです。
だから株価はあがりました。
けれどももし雇用統計が強すぎて、「これじゃあ利下げなんて当面ない」と判断されていたら、株価は下がっていたかもしれません。
このあたり、専門家の判断次第ですが、単純に考えることができないのが難しい点です。
日本ではなぜ雇用統計が株価にあまり響かないのか?
ここで、日本の話をしましょう。
日本では、雇用統計が出ても株価はあまり動きません。
それはなぜでしょう?
理由は単純。
雇用が景気の“後追い”になっているからです。
そもそも日本では、世界的に解雇が楽な方だとはいえども、特に正社員の解雇については、難しい状況です。
景気が悪くなっても、すぐに人員削減できない。景気が良くても、慎重にしか採用しない。
だから雇用者数は“企業の即時的な経済判断”を表していないわけです。
これではマーケットは反応しようがありません。
さらに言えば、日本には「正社員と非正規の間に構造的な格差」があります。
賃金も保障も違う。
だから「誰が雇われたか」によって経済インパクトが違ってしまうわけです。
“1人の雇用”がGDPに与える意味が均質じゃないとも言えます。
たとえば、100人雇用が増えたとして、そのうち95人が非正規だったとしたら、日本ではそれは“経済のエンジン”にはなりにくい。
だけどアメリカでは、100人が皆短期でも、それぞれに専門性があり、価値を生んでいれば話は別です。
数字の意味合いがまるで違うんですね。
最後に:日本も「短期雇用×高報酬」が当たり前の社会に近づけるのか?
アメリカでは、雇用統計が“価値ある労働”のバロメーターとして機能しています。
日本でも、働き方改革や副業解禁、ジョブ型人事といった流れは出てきていますが、“成果や専門性に値段をつける”覚悟があるか、といえば、それはまだ道半ばです。
そもそもそっちらへ行こうと思っているかも怪しい。
なぜならそれは、「長く勤めることで報われる社会」から、「価値で稼げる社会」への転換でもあるからです。
その転換には、職務の明確化、スキルの可視化、教育投資の仕組み化など、整えるべき土台がとても多いのです。
そして、働く人たちだけでなく、働き手を支える立場の人たちや、働き手によって支えられる人たち=特に高齢層の意識なども大きくかかわってきます。
けれども、それらの転換が実現することで、雇用統計という、単なる“数字”から、「そこにどれだけの“経済的意志”がこもっているか」を読み取れるような社会に変革してゆけるようになります。
それは、単なる株価の話ではなく、社会全体が、経済活動によって生み出される価値の総量に対して意識を高める状況でもあるわけです。
日本の株式マーケットを、今よりもタイムリーで、企業の意思を即座に反映していけるようにするためには、実は人事の本質的改革が必要になってくるわけです。
そしてそれは、日本企業がイノベーションを目指すためにも必須の改革でもある、と私は考えています。

