EU賃金透明性指令(Pay Transparency Directive)
いーゆーちんぎんとうめいせいしれい
監修:平康慶浩(セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役|グロービス経営大学院客員准教授。人事コンサルタントとして30年以上、等級・報酬・評価制度の設計に携わる)
EU賃金透明性指令とは、男女同一賃金の原則の実効性を高めることを目的として、賃金情報の開示と男女間賃金格差の報告を使用者に義務づけるEUの指令である。正式には Directive (EU) 2023/970 といい、2023年5月10日に採択された。加盟国は自国法への反映を求められ、EU域内に子会社を持つ日本企業も、その子会社が所在する国の国内法を通じて適用を受ける。
背景・時事文脈
同指令は2023年5月10日に採択され、2023年6月6日に発効した。
加盟国による国内法化の期限は2026年6月7日と定められている(EUR-Lex 指令本文、労働政策研究・研修機構(JILPT)「男女間賃金格差透明化指令の成立」)。
指令が定める主な義務は次のとおりである。
募集・採用段階の情報提供:求職者は、募集の通知、面接、または契約締結前のいずれかの段階で、当初の賃金またはその範囲に関する情報を受け取る権利を持つ
男女間賃金格差の報告:250人以上の使用者は2027年6月7日から毎年、150〜249人は同日から3年ごと、100〜149人は2031年6月7日から3年ごとに報告する。
100人未満は任意
共同賃金評価:労働者の区分において男女の平均賃金水準に5%以上の差があり、報告から6か月以内に正当化または是正されなかった場合、労働者代表と共同で賃金評価を実施する
日本企業にとっては、直接的には欧州子会社の対応義務が生じ、間接的には、賃金の決定根拠を職務の価値に基づいて説明できる状態が、グローバルに標準的な要求水準になりつつあることを示している。
人事制度設計上の論点
対応の起点は、賃金の水準そのものではなく説明可能性にある。
格差の存在それ自体が直ちに問題とされるのではなく、正当化できない格差が問題とされる構造だからである。
第一に、「同一価値労働」の区分をどう定義するかである。
報告も共同賃金評価も労働者の区分ごとに行われるため、区分が職種名や在籍部門で機械的に切られていると比較の単位として意味をなさない。
職務記述書と職務評価による職務価値の可視化が、区分設定の前提になる。
第二に、範囲給のレンジ内の位置がどう決まっているかである。
同一等級・同一職務でもレンジ内の位置に差があること自体は制度上想定されるが、その差の理由(在級年数、評価履歴、採用時の交渉結果)を記録していなければ、正当化の説明ができない。
コンパレシオで位置を管理し、属性別の分布を定期的に確認する運用が有効である。
第三に、採用時の賃金交渉の扱いである。
募集段階で賃金またはその範囲を示す義務が生じると、個別交渉の余地は縮小する。
交渉結果が既存従業員との格差の主因になっている組織では見直しが必要になる。
第四に、日本国内の男女間賃金差異の公表義務との関係である。
日本では女性活躍推進法に基づく公表義務があるが、算定の考え方も対象範囲も同指令とは異なる。
指標の定義の違いを明示しないと数値だけが比較されて誤解を招く。
なお、加盟国ごとの国内法の内容と自社への適用については、現地の専門家への確認が必要である。
より深く読む
報酬の水準そのものより、その説明の仕方が納得を左右する構造については、平康慶浩による論考『なぜ昇給よりも手当が刺さるのか――「それ、会社に騙されてない?」への行動経済学の答え』で詳しく解説している。