文:平康 慶浩(セレクションアンドバリエーション株式会社 代表・人事コンサルタント)

「目標って、部下が書くものですか?それとも上から落とすものですか?」
人事担当者から、あるいは管理職研修の場で、長年にわたって繰り返されてきた問いです。
自律性か、整合性か。
納得感か、方向性の統一か。
この問いは、どちらが正解かという答えを出せないまま、多くの現場でその場しのぎの運用が続いてきました。
しかし今、この問いに対する答えの立て方そのものが変わりつつあります。
生成AIという「第三の選択肢」が登場したからです。
「誰が書くか」論争が30年間解決しなかった理由
目標管理制度(MBO)の運用において、「期初の目標設定をどう行うか」という問いは、1990年代からずっと議論されてきました。
部下自身が作成して上司承認を得るアプローチは、自律性・納得感・動機づけの面で優れているとされます。
一方、組織戦略との整合性を確保するには、上位からのカスケードダウンが有効であり、特に目標設定スキルが未熟なメンバーには指示型の方が機能するという考え方も根強くありました。
この論争が解決しなかった本当の理由は、どちらのアプローチも「書くこと」に多大なエネルギーが費やされ、本来議論すべき「何を目指すか」という問いに十分な時間が割かれなかったことにあります。
上司も部下も、目標の中身を深く議論する前に疲弊していた。
これが多くの現場の実態です。
生成AIの登場は、この構造的な問題に対して、まったく新しい突破口をもたらしました。
「書く」負担を外に出し、「考える」場を取り戻す
生成AIを活用した目標設定のプロセスは、シンプルです。
まず部門の方針・組織目標・個人の役割情報をAIに入力し、業務目標の草案を複数パターン生成させます。
次に部下がその草案を自分の業務実感と照合しながら取捨選択・加筆修正を行い、たたき台として面談に臨みます。
そして上司と部下が「どの方向性が最も組織の期待に応えるか」「自分の強みをどう活かすか」という本質的な対話を行い、最終的な目標を確定させます。
このプロセスにおいて、生成AIは「代替」ではなく「触媒」として機能します。
ゼロから書く負担を取り除き、議論の起点を提供することで、人間同士の対話をより豊かにするのです。
「部下が書く」か「上から落とす」かという問いは、もはや問いとして成立しない。
これからの問いは、「どう議論するか」です。
有効なたたき台を引き出すための、プロンプト設計
生成AIに機能するたたき台を作らせるには、プロンプト(指示文)の設計が重要です。
私が現場で有効だと感じているのは、組織目標・自分の役割・過去実績の三つを組み合わせるという方法です。
たとえばこのように入力します。
今年度の部門方針は「新規顧客の開拓により売上20%増を目指す」です。
私の担当業務は既存顧客フォローと新規提案活動で、
昨年度の主な実績は担当顧客の継続率98%・新規提案5件獲得でした。
これをもとに、定量・定性それぞれの観点で目標案を3パターン提示してください。
重要なのは、AIの出力を鵜呑みにしないことです。
「なぜこの目標が提示されたのか」を自分なりに咀嚼し、業務実感と照合しながら修正する。
この「素材を選ぶ主体性」こそが、部下自身のオーナーシップを育てます。
上司確認は「承認の場」から「対話の場」へ
生成AIが関与したプロセスだからこそ、上司確認のステップには新たな設計が必要です。
推奨するのは、面談を「承認・修正の場」としてではなく「対話の場」として位置づけることです。
具体的には次の流れです。
- 部下がたたき台を事前に共有する
- 上司が面談前に目を通し、「組織の期待との整合」と「個人の強みの活かし方」について考えてくる
- 面談当日は部下が「AIの提案から自分が選んだ理由・修正した意図」を説明し、上司がそれに対して応答する
「面談当日にはじめて見る」という従来のスタイルでは、限られた時間が承認手続きに消えていきます。
事前共有型に変えるだけで、面談の質は劇的に上がります。
チームでの議論という、もう一つの可能性
個人目標の設定に加えて、チームでの目標設定プロセスにも生成AIを活用する動きが広がっています。
チームミーティングで生成AIが提示した目標案を素材として、各メンバーが「自分の担う部分」「他メンバーとの連携点」について議論するアプローチです。
ここに、興味深い効果があります。
従来の目標設定議論では、「誰かが書いた案への批評」という構造になりがちです。
しかし「AIが提示した案への集合的な検討」という構造に変わると、心理的な安全性が高まり、議論が活性化しやすくなります。
誰の案でもないから、誰も傷つかない。
だから率直に意見が出せる。
個人目標の孤立化を防ぎ、チームとしての一体感を持った目標体系を構築するための、新しい対話設計として、私は注目しています。
生成AI活用だからこそ、期中コミュニケーションが重要になる
ここからが、私がもっとも伝えたい話です。
生成AIで目標設定が効率化されると、「あとは期末評価を待つだけ」という感覚になりやすい。
しかしそれは、まったく逆の発想です。
生成AIを活用した目標設定プロセスだからこそ、期中のコミュニケーションの重要性が高まります。
理由は二つあります。
一つ目は、環境変化への対応です。
生成AIが作ったたたき台をもとに設定した目標は、業務の実態変化や外部環境の変化によって修正が必要になることがあります。
それは失敗ではありません。むしろ目標管理制度が本来目指している「柔軟なPDCA」の実現です。
変化を素早くキャッチして対話する仕組み――1on1の場を「進捗確認」にとどまらせず、「目標の意味を問い直す対話」として機能させることが、今まで以上に求められます。
二つ目は、上司の役割の変化です。
生成AIが事務的な作業の多くを担うことで、上司はより「コーチとしての役割」に集中できる環境が整います。
評価者・承認者としての役割だけでなく、目標の意味を一緒に考えるパートナーとしての役割です。
上司がこの役割を果たせるかどうかが、これからの目標管理制度の質を決定的に左右します。
目標を「動的なもの」として扱う文化へ
従来の目標管理制度では、期初に設定した目標を期末まで変更しないことを前提としているケースが少なくありませんでした。
環境変化のスピードが増す現在、この前提は現実とのズレを生みやすくなっています。
生成AIを活用したプロセスでは、目標の見直し・更新がより自然に行いやすくなります。
たたき台の再生成・再設計が容易なだけでなく、「たたき台をもとに対話する」という文化が根づくことで、目標を動的なものとして扱う感覚が組織全体に広がっていくからです。
目標は「契約」ではなく「指針」である。
この感覚を、組織全体が共有できたとき、目標管理制度は本来の機能を取り戻します。
この変化の本質
この2年間、生成AIの現場活用を見てきて、私が感じていることがあります。
AIが変えているのは、効率だけではありません。
「誰かが書いた案を批評する」という関係性から、「共に素材を検討する」という関係性への転換。
それは、目標設定という場を、評価の前哨戦から、本当の意味での対話の場へと変える可能性を持っています。
30年間解決しなかった「誰が書くか」という問いが、「どう議論するか」という問いに変わる。
それは単なる効率化ではなく、目標管理制度の本質的な復権だと、私は考えています。
本稿でご紹介したプロセスを、実際に現場に定着させるには、上司と部下の両側からのアプローチが必要です。
評価者(上司)向け:期初・期中・期末を通じたコミュニケーション力を鍛える
生成AIを活用した目標設定の対話は、評価者のスキルによって大きく質が変わります。
目標設定の合意形成・期中フォロー・期末フィードバックを一貫して設計する「評価者研修」では、貴社の評価制度に合わせたケーススタディで、実践的なマネジメント力を養います。

被評価者(部下)向け:目標設定を「自分ごと」にする力を育てる
生成AIのたたき台を選び、修正し、意味を語れるようになるには、被評価者自身が制度を「使いこなす」感覚を持つことが不可欠です。
「被評価者研修」では、評価制度をキャリア設計の道具として再定義し、上司との面談を受け身から主体的な対話へと変える力を育てます。

目標管理制度の運用改善・研修設計については、セレクションアンドバリエーション株式会社までお気軽にご相談ください。

