大手企業の子会社・グループ会社からの人事制度設計の相談が直近増えています。背景にあるのは、親会社による初任給引き上げや賃上げの動きです。しかし、子会社の人事制度設計は「普通の会社の制度改定」と同列に考えると、思わぬ落とし穴にはまることがあります。本稿では、子会社・グループ会社の人事制度設計に特有の課題と、実務的な対処の考え方を解説します。
この記事を読んで分かること
- 子会社・グループ会社の人事制度設計が一般の制度改定と異なる理由
- 報酬水準の設定における「不文律」と合意形成の考え方
- グループ異動・出向に耐えうる制度設計のポイントと検討の進め方
この記事の想定読者
- 親会社の賃上げを受け、自社の報酬体系を見直したいと考えている子会社・グループ会社の人事担当者
- グループ間の異動・出向に関する制度的な整合性に課題を感じている方
なぜ「普通の制度改定」と同じやり方では通用しないのか
初任給・賃上げの波がグループ全体に押し寄せている
2025年度の調査によると、初任給を前年より引き上げた企業は全体の71.0%に達しています(帝国データバンク調べ)。この動きは大手企業を中心に急速に広がっており、グループ会社に対しても「なぜうちの会社の初任給は親会社より低いのか」という声が現場から上がるようになっています。
親会社が初任給を大幅に引き上げると、同じグループに属しているにもかかわらず処遇差が生じ、採用競争力の低下や若手の離職加速につながるリスクがあります。こうした状況を受けて、「グループ内の賃金水準を整合させたい」「制度を見直したい」という相談が子会社・グループ会社の人事部門から増えています。
グループ特有の「見えない制約」が設計を難しくする
一般的な会社の制度改定では、自社の経営方針・市場相場・社員の実態を踏まえて制度を設計し、経営陣の承認を経て導入するという流れが基本です。しかし子会社・グループ会社の場合、意思決定に「親会社」という第三の視点が加わります。
「等級設計の方向性は親会社に合わせるべきか」「報酬水準は親会社を上回ってよいのか」「グループ共通の評価スケジュールに合わせるべきか」といった論点は、自社単体では決めきれないものが多くあります。これが、子会社の制度改定を普通の制度改定より複雑にする最大の要因です。
「自社だけの問題」と捉えると判断を誤る
制度改定を自社完結で進めようとすると、後から親会社やグループ各社との整合性が取れなくなることがあります。人事制度は一度導入すると変えることが難しく、数年にわたって社員の処遇に影響を与える性格のものです。「あとからグループと調整すればいい」という発想で設計を進めると、グループ会社間で異動・出向が発生したときに制度の「すき間」に社員が落ちるリスクが高まります。設計の初期段階から、グループ全体を視野に入れた検討が不可欠です。
落とし穴①——報酬水準は親会社を上回ってよいのか?
多くのグループに存在する「暗黙のルール」
コンサルティングの現場でよく目にするのは、「子会社の報酬水準は親会社を上回らない」という不文律の存在です。明文化されていることはほとんどありませんが、グループ全体の秩序維持という観点から、暗黙の上限として機能しているケースが少なくありません。
この暗黙ルールの背景にあるのは、「親会社からの出向者や転籍者が不公平感を持たないようにする」という配慮です。もし子会社の賃金が高くなれば、親会社の社員が「子会社に行きたい」と希望するようになったり、逆に出向を拒否するようになったりする可能性があります。こうした事態を避けるための暗黙のルールが、長年の慣行として根付いているグループが多いのです。
しかし「市場相場」との乖離は放置できない
一方で、この不文律を守り続けることのリスクも明確になってきています。業種・事業内容が異なる子会社では、その業界独自の賃金相場があります。例えば、ITサービス子会社や専門商社系子会社では、市場の賃金水準が親会社の製造業本体より高いケースも珍しくありません。
こうした場合に親会社水準を上限として制約をかけ続けると、採用競争力が低下するだけでなく、優秀な社員が市場相場を知ったうえで他社へ転職するリスクが高まります。昨今の賃上げ競争において、「グループ内の不文律があるから賃金水準を上げられない」という事情は、採用候補者にはまったく関係のない話です。
報酬水準の合意形成をどう進めるか
重要なのは、「親会社を上回るか否か」という二択で考えるのではなく、「グループとしてどこまでの水準差を認めるか」という基準を明示的に合意形成することです。例えば、等級の上限では親会社と同水準を維持しながら、業種特性や採用競争力を考慮して一定の幅を設けるといった設計が考えられます。
この合意形成には親会社の人事部門との対話が必要であり、子会社単体の判断に委ねる問題ではありません。制度設計の初期に親会社と「報酬の設計思想」を擦り合わせることが、後工程でのトラブルを防ぐ最善策です。なお、等級制度の設計思想については、こちらの記事も参考になります:「ジョブ型=昇給しない」は本当か――昇給のあるジョブ型総合人事制度という選択肢(https://sele-vari.co.jp/insight/jobbasedhrsystem/)。
落とし穴②——グループ異動・出向が「制度のすき間」に落ちる
等級の互換性がないと何が起きるか
グループ会社間での人材異動・出向は、グループ経営において重要な人材育成・配置の手段です。しかし、各社が独自の等級制度を持っている場合、異動時の等級認定が問題になることがあります。「A社の3等級がB社では何等級に相当するのか」という問いに答えられない場合、出向先での処遇決定が恣意的になりがちです。
等級の互換性がなければ、出向者が「自分の評価が正当に引き継がれていない」と感じ、モチベーション低下や早期帰任の希望につながることがあります。こうした事例は、グループ異動の多い企業では繰り返し発生する典型的な問題です。
昇給・賞与タイミングのずれが生む不満
制度上のすき間は等級だけではありません。各社の昇給・昇格タイミングや賞与の支給時期が異なる場合、出向期間中の処遇決定が複雑になります。例えば、出向元では4月昇給・6月賞与であるのに対し、出向先では1月昇給・12月賞与という場合、どちらの基準を適用するかを明確にしておかないと、出向者が最も不利な条件に置かれる「制度の谷間」が生じます。
こうしたトラブルは、制度を運用し始めてから気づくことが多く、事後的な対応が難しいという特徴があります。だからこそ、制度設計の段階で異動シナリオを想定した検討が不可欠です。
設計段階で「グループ間移動シナリオ」を想定する
具体的には、設計段階で以下の3点を整理しておくことをお勧めします。
一つ目は、等級の対応表(グレードマッピング)の作成です。各社の等級を共通の基準で対応させることで、異動時の等級認定を明確にします。二つ目は、出向・転籍時の報酬取り扱いルールの明文化です。出向元の報酬保証をどこまで行うかを、あらかじめルール化しておきます。三つ目は、評価スケジュールの相互認識です。各社の評価スケジュール・昇給タイミングを一覧化し、出向期間中の評価をどう扱うかを共通ルールとして定めます。
これらを制度設計時に組み込んでおくことで、グループ異動が発生しても「制度の谷間」に社員が落ちない設計が可能になります。
子会社の人事制度改定をどのように進めるべきか
まず「グループ全体の制度マップ」を作成する
子会社の人事制度改定を進める際、最初のステップとして必要なのは、グループ全体の制度の現状を整理することです。親会社および主要なグループ会社それぞれの等級制度・評価制度・報酬制度の概要、そして主な課題を一覧化した「制度マップ」を作成します。
この作業を省いて自社だけの制度改定を先行させると、後からグループ整合性を確保しようとしたときに大幅な修正が必要になるリスクが高まります。「自社の課題」と「グループ全体の課題」の両方を把握してから設計方針を決めることが、遠回りに見えて実は最も効率的な進め方です。
課題の優先順位付けとステークホルダーへの働きかけ
制度マップが完成したら、次は課題の優先順位付けです。このとき、子会社側だけでの検討ではなく、親会社人事部門や主要グループ会社との対話を組み合わせながら進めることが重要です。
グループ全体の人事制度に関わる意思決定は、子会社の人事担当者だけでは完結しません。親会社の承認が必要な事項、グループ各社との調整が必要な事項を整理したうえで、誰がどのタイミングで意思決定を行うかを事前に明確にしておきます。この「意思決定設計」を省いてしまうと、検討が進んだ段階で親会社から差し戻されるリスクがあります。制度改定を短期間でやり遂げた事例については、こちらの記事も参考になります:3か月で人事制度改革を実現した成功事例に学ぶ、今すぐ始めるための5つのポイント(https://sele-vari.co.jp/insight/five_key_points_for_hrm/)。
複雑さを認識し、外部の専門家を活用するという選択肢
グループ全体を巻き込んだ制度改定は、子会社の人事部門が単独で担うには負荷が大きいケースが少なくありません。特に、グループ会社が多数ある場合や、親会社との関係が複雑な場合は、外部のコンサルタントに全体の整理・調整・設計の補佐を依頼することも有効な選択肢です。
外部の専門家が関与することで、親会社と子会社の間で利害が対立しやすい論点——例えば報酬水準の合意形成や等級互換性の基準設定——について、中立的な視点で解決案を提示することができます。制度改定を「自社だけの問題」として抱え込まず、必要に応じて専門家の力を借りることが、プロジェクトを成功させる現実的な選択肢の一つです。
よくある質問
Q1. 子会社の人事制度は、親会社の制度をそのまま適用すればよいですか?
A. 適用できるケースは限られます。親会社と同じ事業・同じ人材が求められる場合は親会社制度の準用が有効ですが、業種・規模・採用市場が異なる場合は独自設計が必要です。無理に合わせると、稼ぎ頭の事業会社に属する社員の不満が高まるリスクがあります。
Q2. グループ間の出向者の等級・給与はどちらの会社の基準で決めるべきですか?
A. 出向形態(在籍出向か転籍出向か)によって扱いが異なります。在籍出向では、出向元の等級・給与水準を基本としながら出向先でのポジションに応じた調整を行うのが一般的ですが、これは事前のグループルールとして明文化しておくことが重要です。ルールが曖昧なまま異動が発生すると、個別対応が積み重なり後から整合性を取ることが難しくなります。
Q3. 子会社単体で制度改定を進めることはできますか?
A. 技術的には可能ですが、後からグループ整合性を取ろうとすると大幅な修正が必要になるリスクがあります。初期段階から親会社を巻き込んだプロセスで進めることで、設計の手戻りを防ぎ、導入後の運用トラブルを最小化できます。
まとめ
子会社・グループ会社の人事制度設計は、自社単体での制度改定とは異なる複雑さがあります。本稿の要点を整理します。
- 初任給引き上げ・賃上げの波は親会社だけでなく子会社にも波及しており、子会社側にも制度見直しのニーズが高まっています。
- 「子会社の報酬が親会社を上回らない」という不文律の存在を認識したうえで、グループとして認められる水準差の基準を明示的に合意形成することが重要です。
- グループ異動・出向を見越して、等級の互換性・報酬ルール・評価スケジュールをあらかじめ整理しておくことが、後のトラブルを防ぎます。
- 制度改定のプロセスは、自社単体ではなくグループ全体の制度マップを作成し、親会社および関連会社との調整を組み込んだ形で進めることをお勧めします。
- 対応が複雑な場合は、外部のコンサルタント活用も有効な選択肢です。
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