1億円貯めてFIREするより、自分が1億円になる方がリスクが低いー「自分の劣化」という、FIREが語らないもうひとつのリスク

平康 慶浩(セレクションアンドバリエーション株式会社 代表・人事コンサルタント)

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 平康慶浩
平康慶浩|セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役|グロービス経営大学院客員准教授 人事コンサルタントとして30年以上、等級・報酬・評価制度の設計に携わる

目次

FIREの夢と、静かに広がる違和感

「Financial Independence, Retire Early」——経済的自立と早期退職を意味するFIREという概念が、日本でも広く知られるようになりました。

1億円の資産を築き、年5%で運用すれば年500万円が手に入る。働かなくていい。時間が自由になる。その発想は、長時間労働や理不尽な職場環境に疲弊したビジネスパーソンにとって、確かに魅力的に映ります。

しかし最近、私のまわりでFIREを目指してきた人たちから、こんな声を聞くことが増えてきました。

「目標額に近づいてきたのに、なぜかワクワクしない」
「貯めることに必死で、何のために働いているかわからなくなってきた」
「仮にFIREできたとして、その後の自分が想像できない」

FIREそのものへの違和感ではありません。FIREを目指す過程で、何か大切なものを失っている気がする、という感覚です。

その正体が何なのか、今日は一緒に考えてみたいと思います。


金融資産1億円には、語られないリスクがある

FIREの設計図はシンプルです。支出を抑え、収入の差額を投資に回し、1億円を貯める。そして年5%で運用すれば、毎年500万円が生活費として手に入る。

ただ、このモデルには語られにくいリスクがいくつかあります。

ひとつはインフレリスクです。年5%の運用益も、インフレ率が3%であれば実質リターンは2%に縮みます。生活費が上がれば、1億円では足りなくなる可能性もある。

もうひとつは運用リスクです。世界株インデックスの長期平均は確かに5〜7%程度ですが、それはあくまで長期の平均値です。退職直後に大きな暴落が来れば、回復を待つ間に元本を取り崩さざるを得ない。

そしてもっとも語られないリスクが、自分自身の劣化リスクです。


「働けなくなる」には、2種類ある

人的資本——つまり自分自身が持つ価値——の最大のリスクは、働けなくなることです。

病気や怪我による「外部リスク」は、誰もが理解しています。だからこそ保険に入り、緊急資金を確保する。

しかし見落とされがちなのが、「内部リスク」——自分の劣化による「働けない化」です。

劣化は3つの層で静かに進みます。

第一層:スキルの陳腐化。
使わない知識・技術は、5年で古くなります。FIREを目指して倹約モードに入り、自己投資を削り続けると、目標達成の時点でスキルが時代遅れになっている。「いざとなれば働ける」が、実は幻想になっているケースです。

第二層:関係性の劣化。
仕事を通じて維持されていた人脈や信頼関係は、働かなくなると急速に薄れます。10年後に「やはり働きたい」と思ったとき、かつてのネットワークはすでに機能しない。人的資本の大きな部分を占める関係性は、使い続けることでしか維持できません。

第三層:非認知能力の劣化。
これが最も見えにくく、最も深刻です。問いを立てる力、文脈を読む力、判断する力、他者と協働する力——これらは筋肉と同じで、使わなければ確実に衰えます。AI時代において、この種の能力こそが人的資本の核心です。それが、FIRE準備の過程で少しずつ失われていく。

貯める間に、自分が腐る。

少し過激な言い方ですが、これがFIREの語らないもうひとつのリスクの正体です。


自分が1億円になる、という発想

ここで、視点を変えてみましょう。

前作でも書きましたが、年収500万円の人は、5%利回りで換算すると1億円の人的資本を持っています。

500万円 ÷ 5% = 1億円

FIREの発想は「1億円を外部に置く」戦略です。資産を金融市場に預け、そこからリターンを得る。

自己投資の発想は「自分が1億円になる」戦略です。人的資本そのものを育て、そこからリターンを得る。

外にある資産は、環境に左右されます。市場が暴落すれば価値が下がる。インフレが進めば実質価値が目減りする。

自分の中にある資産は、自分と一緒に動きます。スキルは頭の中にある。経験は身体に刻まれている。関係性は人と人との間にある。これらは株価のように一夜で消えません。

もちろん、働けなくなるリスクはあります。だからこそ、金融資産との併用が合理的なのです。


人的資本が、金融資本の原資になる

FIREか自己投資か、という二者択一の問いは、実は間違っています。

正しくは、順序の問題です。

自己投資によって人的資本が高まれば、年収が上がります。年収が上がれば、NISAやiDeCoへの投資原資が増えます。金融資産の積み上げも加速する。

人的資本を育てることは、金融資本を育てることの妨げではなく、金融資本を育てるための原資を生み出すエンジンです。

逆に、自己投資を削って貯蓄・投資に全振りすると、人的資本が劣化し、エンジンの出力が落ちていく。長期的には金融資産の積み上げスピードも鈍化します。

「FIREのために自己投資を我慢する」という戦略は、エンジンを止めながら燃料を節約しようとしているようなものです。


FIREは目的ではなく、選択肢のひとつでいい

私はFIREという概念を否定したいわけではありません。

経済的自立を目指すことも、早期退職という選択肢を持つことも、豊かな生き方のひとつです。

ただ、FIREを「ゴール」として設定したとき、そこに向かう過程で自分という資産を劣化させてしまうとしたら、それは本末転倒ではないでしょうか。

私がこれまで見てきた、仕事で成功した人たちの共通点があります。彼らは人事評価を気にしませんでした。毎年の昇給額に一喜一憂しませんでした。その代わり、自分という資産を育てることに、静かに、継続的に投資し続けていました。

結果として、彼らの多くは経済的にも豊かになっています。FIREを目指したわけではないのに、FIREできる状態に自然になっていた、という人もいます。

自分が1億円になること。それが、最もリスクの低いFIREへの道かもしれません。

外部リスクに備えるために金融資産も持つ。しかし主役は、自分という資産です。

あなたの1億円は、どこに置きますか?


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