近年、地方におけるM&A・事業承継への注目が高まっています。
日本企業のM&A件数は増加を続け、2025年度には5,228件と過去最多を更新しました。また、レコフデータによると、2025年の事業承継型M&Aは1,028件と前年比11.4%増加し、過去最多となっています。
こうしたM&Aの増加に伴い、今後ますます重要になるのが「買収後」の取り組みです。
特に地方企業では、会社の価値は、財務諸表に載っている資産だけでは測れません。社長が長年かけて築いてきた取引先との関係、地域での信用、従業員との信頼、金融機関とのつながりなど、目に見えない資産が事業の継続を支えています。
つまり、会社は買えても、社長の「顔」までは買えない。
では、買収後に何を引き継ぎ、何を変え、どのように地域との関係を再構築すればよいのでしょうか。
本稿では、地方企業の事業承継を目的としたM&Aが成立後につまずきやすい構造を経営・組織・人事の観点から整理し、単なる「買収先の安定化」にとどまらず、地域の雇用・所得・経営人材の基盤を強くするためのPMIのあり方を考えます。
- M&A・事業承継が果たす役割と、最新の市場動向
- 地方企業のM&Aが成立後につまずきやすい、3つの組織・人事上の落とし穴
- 「社長の顔」に象徴される、地域に蓄積された信用を承継するための方法
- 買収後の人事を、地域の雇用・所得・経営人材の育成につなげる3つの視点
- 事業承継や会社の譲渡を検討している地方企業の経営者・後継者
- 地方企業の買収・PMIを担当する経営企画・人事部門の方
- 地域企業の承継支援に関わる金融機関・支援機関の担当者
地方創生の切り札となったM&A──事業承継の現在地
過去最多を更新するM&Aと事業承継型M&A

日本のM&A市場は拡大を続けています。
レコフデータによると、2025年1~9月期の日本企業のM&A件数は3,694件となり、前年同期を上回って過去最多を更新しました。取引金額も26兆8,605億円と過去最高となっています。
なかでも注目したいのが、事業承継を目的とするM&Aです。
2025年の事業承継M&Aは冒頭でもお伝えした通り、過去最多となりました。M&Aはもはや、大企業が成長戦略のために行うものだけではありません。後継者不在の企業が事業を次の世代につなぐための、現実的な選択肢として定着しつつあります。
かつて、会社を第三者に譲渡することには「身売り」というイメージもありました。
しかし現在では、M&Aによって事業を残し、従業員の雇用を守り、取引先との関係を維持しながら、次の成長につなげるという考え方が広がっています。
つまり、M&Aの役割は、「会社を売るための出口」から、「事業を地域に残すための承継手段」へと変わりつつあるのです。
後継者不在率は改善している。しかし、地域差は大きい
後継者問題そのものは、全国的には改善傾向にあります。
帝国データバンクの2025年調査によると、日本企業の後継者不在率は50.1%となり、過去最低を更新しました。前年から2.0ポイント低下し、7年連続で改善しています。
ただし、全国平均だけを見ていると、地域ごとの実態を見誤ります。
都道府県別では、後継者不在率が最も高い秋田県で73.7%、最も低い三重県で33.9%となっており、その差は約40ポイントに及びます。秋田県では2023年以降、3年連続で後継者不在率が上昇しています。
帝国データバンクは、後継者不在率が高い地域の背景として、後継者候補となる若年層の都市部への流出や、経営人材の不足、親族以外への承継に対する抵抗感などを挙げています。
つまり、全国平均では改善していても、地域によっては「事業を引き継ぐ人がいない」という問題が依然として深刻です。
そして、地域企業の廃業は、一社の問題だけでは終わりません。
従業員の雇用、取引先の売上、地域の金融機関との取引、自治体の税収など、さまざまなものが連鎖して失われる可能性があります。
だからこそ、地方における事業承継M&Aは、企業の存続だけでなく、地域の雇用と産業を次世代につなぐための仕組みとして考える必要があります。

M&Aの先にあるのは、「会社」ではなく「地域との関係」の承継
ここで重要なのが、地方企業の価値を「会社そのもの」だけで捉えないことです。
地方企業には、財務諸表には表れにくいさまざまな資産があります。
たとえば、
- 長年付き合ってきた地域の取引先
- 地元で培った企業としての信用
- 「この会社なら安心」と思ってもらえる評判
- 地域の人材とのつながり
- 金融機関や自治体との関係
- 従業員同士の信頼関係
- 経営者個人が持つ地域ネットワーク
こうしたものが、事業を継続するうえで重要な役割を果たしています。
だからこそ、地方M&Aでは「何を買ったのか」だけでなく、「何を引き継がなければならないのか」を考える必要があります。
ここに、一般的なM&Aとは異なる地方M&Aの難しさがあります。
なぜ地方M&Aは「成立後」につまずくのか──見えにくい3つの落とし穴
M&Aでは、成約までの交渉や財務・法務のデューデリジェンスに多くの時間と労力が注がれます。
しかし、成約した瞬間から始まるのがPMI(Post Merger Integration:買収後の統合)です。
中小企業庁も2022年に「中小PMIガイドライン」を策定し、PMIについて、経営統合や業務統合、人材・組織面の統合などを含めて、成立後の取り組みを体系的に整理しています。
M&Aの成功を「当初設定した目標をどの程度達成できたか」という観点から見ると、2013年のデロイト トーマツ コンサルティングの調査では、目標達成度80%超を成功とした場合の成功率は36%でした。これは現在のM&A全体の成功率を示す最新統計ではありませんが、M&Aにおいて「買収したこと」と「買収目的を実現すること」が別問題であることを示す参考データです。
そして、M&A後の価値創出を考えるうえで、人と組織は避けて通れません。近年のM&A実務でも、人事デューデリジェンスからPMIまで、組織・人事課題を早期に把握し、統合後の価値創出につなげる重要性が指摘されています。
落とし穴① 「雇用を守る」が、「何も変えない」に変わってしまう
地方の事業承継M&Aでは、売り手にとって「従業員を守れる買い手かどうか」は非常に重要な論点です。
だからこそ、買収側も「従業員の雇用を守る」というメッセージを発信します。
問題は、そのメッセージが現場で「当面は何も変えない」という意味に受け取られてしまうことです。
給与も、役割も、組織も、評価も変わらない。
もちろん、買収直後に大きな変更を行えば、従業員の不安を高める可能性があります。しかし、何も変わらない状態が長く続けば、別の問題が生まれます。
「この会社はこれからどうなるのか」
「自分の仕事やキャリアはどう変わるのか」
「買収によって、自分にとって何が良くなるのか」
こうした問いに答えられないままでは、従業員の不安は解消されません。
雇用を守ることは、必ずしも現状維持を意味するものではありません。
本来必要なのは、「雇用を守りながら、会社をより良くしていく」という約束です。
そのためには、クロージング後ではなく、買収前から「何を変え、何を変えないのか」を整理しておく必要があります。
落とし穴② 会社は買えても、社長の「顔」までは買えない
地方M&Aを考えるうえで、最も重要なのがこの問題です。
株式を取得すれば、会社の経営権は引き継げます。
しかし、社長が何十年もかけて築いてきた信用まで、契約書に書いて引き継ぐことはできません。
たとえば、
「あの社長だから仕事を頼んでいる」
「あの人なら話が早い」
「困ったときには相談できる」
といった関係性です。
地方企業では、経営者個人と会社の信用が密接につながっているケースも少なくありません。
つまり、社長の「顔」は、会社にとって重要な無形資産になっているのです。
そして、この無形資産は、社長が退任した瞬間に自動的に会社へ移転するわけではありません。
だからこそ必要なのは、社長やトップの人材が個人として持っている信用・関係性を、組織として承継することです。
具体的には、
- 前オーナーが一定期間、地域や主要取引先との関係を引き継ぐ
- 主要取引先・金融機関・地域関係者との関係を可視化する
- 重要な顧客・取引先について、誰がどのような関係を築いているかを整理する
- 前オーナーの役割を「相談役」「顧問」「地域連携担当」など、明確な役割として設計する
- 次世代の経営者や幹部を、前オーナーとの同行・引き継ぎを通じて育成する
といった取り組みが考えられます。
これは単なる引き継ぎではありません。社長個人が築いてきた信頼を、次の経営者や組織全体に引き継いでいく作業が必要になります。
落とし穴③ 本社の「正しい人事制度」が、買収先では機能しない
もう一つの落とし穴が、人事制度です。
買収側には、自社で長年運用してきた等級制度、評価制度、報酬制度があります。
そのため、買収後には「グループとして制度を統一しよう」という発想になりがちです。
しかし、制度を統一すること自体が目的になってはいけません。
その制度が前提としている人材市場や仕事の進め方が、買収先の地域・事業の実態と合っているかが重要です。
たとえば、一人の社員が営業から顧客対応、採用、総務まで幅広く担っている会社で、職務を細かく分解して厳密に定義すれば、かえって仕事の境界が増えてしまう可能性があります。
成果連動型の報酬を導入しても、地域の賃金水準や人材市場を考慮しなければ、従業員が期待する処遇とのギャップが広がるかもしれません。
公募型の社内異動制度を導入しても、そもそも地域内に十分なポジションがなければ、キャリアの選択肢にはなりません。
この地域、この会社、この事業にとって、どのような人事制度が事業成長を支えるのか。
ここから制度設計を始める必要があります。
事業継承後の人事──3つの視点

事業継承型M&AのPMIでは、まず従業員の不安を解消し、重要人材を引き留め、事業を安定させることが重要です。
しかし、それだけで終わらせる必要はありません。
むしろ、買収を「地域の人材基盤を再設計する機会」と捉えることで、1社の承継を超えた効果を生み出せる可能性があります。
ここでは、そのための3つの視点を紹介します。
視点1 給与の差を、「地域で選ばれる会社」になる機会に変える
前章では買収側と譲渡側で給与水準に差がある場合、それは統合上のリスクである一方、地域における競争力を高める機会にもなります。
買収側の資本力や事業基盤を活用して、地域の採用市場において競争力のある処遇を実現できれば、買収先企業そのものが「地域で働きたい会社」になる可能性があります。
ただし、単純な一律賃上げだけでは十分ではありません。
重要なのは、
「何をすれば、どのように処遇が上がるのか」
を明確にすることです。
等級や役割を整理し、評価基準を明確にし、成長と処遇がつながる仕組みをつくる。
そうすれば、給与水準の引き上げを、単なるコスト増ではなく、人材の成長や生産性向上につなげることができます。
M&Aによって地域企業を存続させるだけでなく、
「この地域で働くなら、この会社がいい」
と思われる会社をつくる。
これも、地方M&Aが地域に与えられる価値の一つです。
視点2 人事制度を「2社目、3社目の買収」に耐えられる土台にする
事業継承型のM&Aでは、一度の買収だけでなく、同じ地域や関連業種の企業を複数承継するケースも想定されます。
そうなったときに問題になるのが、買収するたびに人事制度を一から設計することです。
会社ごとに等級も評価も給与体系も異なれば、グループ内で人材を動かすことが難しくなります。
そこで有効なのが、
「土台は共通、水準は会社ごと」
という考え方です。
たとえば、
- 等級の考え方
- 役割・責任の定義
- 評価の基本的な考え方
- 人材育成の考え方
はグループ共通の土台として整備する。
一方で、
- 給与水準
- 手当
- 福利厚生
- 地域固有の処遇
などは、各社の事業特性や地域の労働市場に応じて柔軟に設定する。
こうした設計であれば、各社の独自性を残しながら、グループとしての一体感もつくることができます。
さらに、共通の人事基盤があれば、グループ内での異動や出向、抜擢、人材交流も行いやすくなります。
つまり、M&Aによって会社が増えるほど、地域の人材にとってのキャリアの選択肢も増やせるのです。
視点3 「地元から出られるキャリア」が、かえって人を地元に残す

地方の人材流出を考えるとき、「地元に残って働いてもらうこと」だけを考えてしまいがちです。しかし、若い人材にとって重要なのは、地元に残れることだけではありません。
「この会社に入ったら、どのような経験ができるのか」
「将来、どのような仕事に挑戦できるのか」
というキャリアの広がりも重要です。
都市部の企業や複数の事業会社を持つグループが地方企業を承継する場合、グループ内の異動、出向、研修、プロジェクト参加などを通じて、地方にいながら都市部や他地域の仕事に触れる機会をつくることができます。
これは、単独の地方企業だけではつくりにくかったキャリアの選択肢です。
「地元に残る」か「都市部へ出る」かの二択ではなく、「地元に住みながら、外の仕事にも挑戦できる」状態をつくる。
これが、地方企業の採用力を高める一つの方法になります。
そして、この考え方は従業員だけでなく、経営人材にも当てはまります。
買収側から経営者を送り込むだけでなく、譲渡側の次世代人材をグループの中で育成し、将来的に別の地域企業の経営を担ってもらう。
そうなれば、M&Aは単に「会社を引き継ぐ仕組み」ではなく、
「地域の次の経営者を育てる仕組み」
にもなります。
「地域に選ばれる買い手」になるために
事業承継型M&Aでは、買収価格だけが買い手選びの基準になるわけではありません。
売り手にとっては、
「従業員を大切にしてくれるか」
「取引先との関係を維持してくれるか」
「地域に会社を残してくれるか」
「会社をさらに成長させてくれるか」
といった点も重要な判断材料になります。
だからこそ、買収後にどのような会社をつくったかは、次のM&Aにも影響します。
1件目のM&Aで従業員が大量に離職した。
「給与水準が下がった。」
「地域との関係が悪化した。」
そうした評判は、地域の中で共有されます。
反対に、
「雇用を守りながら事業を成長させた。」
「処遇を改善した。」
「地元での採用を増やした。」
「若手にキャリアの機会を提供した。」
「前オーナーが築いた地域との関係を丁寧に引き継いだ。」
こうした実績は、次のM&Aにおける買い手としての信用になります。
つまり、PMIそのものが、次のM&Aに向けた「買い手としてのブランド」をつくる活動なのです。
そして、これは買い手側だけの話ではありません。
譲渡を検討する企業側も、M&Aの前から自社の人事情報を整理しておくことが重要です。
たとえば、
- 人員構成
- 給与水準
- 重要人材
- 後継者候補
- 労務リスク
- キーパーソンが持つ取引先・地域との関係
などを可視化しておけば、買収後の処遇や役割について、より具体的な交渉ができます。
M&Aの準備は、財務・法務だけではありません。
「人と組織をどう承継するか」まで準備しておくことが、会社の価値を守ることにつながります。
よくある質問
Q. 地方企業のM&Aで、買収後の人事の準備はいつから始めるべきですか?
成約後ではなく、可能な限り買収前のデューデリジェンス段階から準備することが重要です。
特に、人事面では、重要人材、給与・労務の実態、労務リスク、経営者への依存度、組織上のキーパーソンなどを事前に把握しておく必要があります。
そうすることで、クロージング直後に従業員へ何を伝えるのか、誰にどのような役割を担ってもらうのか、どの人材を重点的にフォローするのかを事前に設計できます。
中小企業庁の「中小PMIガイドライン」でも、PMIを成立後だけの取り組みとせず、成立前から準備することの重要性が示されています。
Q. 譲渡側と買収側で給与水準が大きく違う場合、どう統合すればよいですか?
一律に即時統一するのではなく、一定の移行期間を設け、段階的に統合する方法が考えられます。
その際には、地域の給与相場、グループ内の公平性、会社の支払能力、採用競争力などを総合的に考えることが重要です。
また、基本給だけではなく、賞与、手当、退職金、福利厚生などを含めた「総報酬」で比較する必要があります。
重要なのは、「どちらの制度に合わせるか」ではなく、統合後の事業戦略を実現するために、どのような処遇が必要なのかという観点から設計することです。
Q. 中小企業でも買収後の統合(PMI)の専任担当を置く必要がありますか?
専任者を置くことが難しい場合でも、PMIの責任者と意思決定のルートは明確にしておくべきです。
特に重要なのは、すべての課題を一度に解決しようとしないことです。
事業継続に直結する重要人材の引き留め、従業員への説明、主要取引先との関係維持、経営体制の確立など、優先順位をつけて取り組むことが重要です。
まとめ
事業継承型M&Aを、人事・組織の観点から考えてきました。
重要なポイントは、次のとおりです。
- 事業承継型M&Aは2025年に1,028件と過去最多となり、M&Aは企業を次世代につなぐ重要な手段になっている
- 地方企業のM&Aでは、「雇用を守る」ことを「何も変えないこと」と混同しないことが重要
- 地方企業の価値には、社長個人が築いてきた信用や地域との関係という、財務諸表に表れにくい資産が含まれている
- 人事制度は、買収側の制度をそのまま移植するのではなく、地域・事業・人材市場の実態を踏まえて設計する必要がある
- 買収後の給与・等級・評価・キャリアを整えることで、1社の再生にとどまらず、地域の雇用や人材の流れを変える可能性がある
- 複数のM&Aを見据えた共通の人事基盤を整えることで、地域内に新たなキャリアや経営人材を生み出せる
M&Aは、株式を取得した瞬間に完了するものではありません。
また、会社を買うことはできても、社長が何十年もかけて築いた「顔」や、地域との信頼関係まで自動的に引き継げるわけではありません。
だからこそ、地方M&Aで本当に問われるのは、
「会社をどう買うか」ではなく、「会社と地域との関係を、どう次の世代につなぐか」
つまり、その地域の人たちが、「この会社に来てよかった」「この会社が残ってよかった」と思えるようになり、一人ひとりが前向きに働き、自ら考え、挑戦する。そうした人の変化が組織を再び活性化させ、新たな事業や成長を生み出していきます。
そして、企業の成長が地域に新たな雇用や活力をもたらし、その地域の未来へとつながっていく。
その先にこそ、「この会社が地域に残ってよかった」と言われる、本当の意味でのM&Aの成功があるのではないでしょうか。
そして、その鍵を握るのが人と組織です。
- 雇用を守る。
- 処遇を高める。
- 人材を育てる。
- 地域の中にキャリアをつくる。
- 次の経営者を育てる。
こうした取り組みをM&A後の人事に組み込むことができれば、M&Aは一社の承継手段を超え、地域の雇用・所得・経営人材を支える仕組みになり得ます。
地方企業の承継・買収を検討されている方は、財務・法務だけでなく、買収後の人事・組織まで含めて、早い段階から準備することをおすすめします。
本稿に関するご質問や、M&Aにおける組織・人事PMI、統合後の人事制度設計については、セレクションアンドバリエーション株式会社までお気軽にご相談ください。
▶ お問い合わせはこちら


