後払い賃金という人質構造と、定年延長が突きつける限界 ― 日本企業の評価・報酬制度を問い直す

「うちのベテランは、どうして給料に見合った働きをしてくれないのか」
経営層からそんな問題意識や愚痴を聞くことが多くあります。
(ちなみにここで言うベテランは60歳以上の再雇用や定年延長した従業員ではなく、40代とか50代の社員です。)
たしかに、そうおっしゃるお気持ちはよくわかります。
30代くらいまではしっかり働いていて、バリバリ活躍する中堅だったので昇給させてきた。
けれども40代になったらどこか落ち着いてしまって、50代はもっと目立たなくなってしまっている。
結果として、報酬は高いのに、貢献がそれに追いついていないように見える。
さらに、若手は「あの人は何をしているのか」と冷ややかに見ている様子すらある。
経営から見れば、微妙なところにある悩みの種です。
そして経営者や人事責任者は、その原因についてこう推測します。
「本人のやる気の問題ではないか」「上司がもっと厳しく指導すべきではないか」と。
実は私はそうは思っていません。
これは本人の怠慢でも、上司一人の遠慮でもないと考えています。
評価制度の仕組みと運用の問題、として説明しなければいけない、と考えています。
そもそも日本の会社には、評価をきっちりやる理由がありませんでした。
後払いの賃金という仕組みが、それを必要としなかったのです。
そのツケが、定年が伸びつつあるいま、高齢期に一気に表面化している。それだけのことなのです。
結論としてはシニアが「割高」に見えるのは、タイムリーにすべきだった評価をしてこなかったことによるツケがまわってきた、ということです。
今日はこの構造を、海外と日本の研究を手がかりに解きほぐしてみたいと思います。
日本の年功賃金は、「後払い」で人を縛る仕組みだった
まず押さえておきたいのは、日本の年功的な賃金が、最初から「後払い」を前提につくられてきた、ということです。
労働経済学者のエドワード・ラジアーが示した、後払い賃金モデル(deferred compensation model)という考え方があります(Lazear, 1979, 1981)。
少しかたい名前ですが、中身はシンプルです。
若いうちは、本人が生み出す貢献よりも低い賃金しか払わない。
その代わり、年齢を重ねた後は、貢献を上回る賃金を払う。
賃金のカーブと貢献のカーブが、若手期とシニア期で逆転するように設計されているのです。
ここで大事なのは、これを「あとから報われる、ありがたい約束」と読まないことです。
ラジアーのモデルが本当に説明しているのは、報酬の優しさではありません。
会社が社員を辞めさせない・逃がさないための仕組みです。
いま辞めたら、後で受け取るはずの分を取り損ねる。だから簡単には辞められない。
日本の場合はここに、労働市場が整っていなかった、という前提が重なります。
転職市場が未成熟で、外に出ても同じ条件では雇われない時代が長かった。
そのような状況だから、会社都合の異動や転勤を社員に飲ませることもできました。
後払いの賃金は、いわば給与を人質に取って、人を会社に縛りつける装置として働いてきたのです。
経営学者の高橋伸夫は、この日本型年功制を前向きに描いています(高橋, 2003/『虚妄の成果主義』2004)。
成果主義を否定するために、過去の日本の仕組みのよさを強調したわけです。
けれど、フェアに見れば、「あとから処遇が報われる」とは言いにくい。
報酬が人質だったと捉えたほうが、実態に近いと私は考えています。
強調しておきたいのは、「日本の後払い賃金は、貢献への報酬というより、人を縛るための人質だった」ということです。
そして割高に見える40代や50代の処遇は、この人質構造の、いわば満期部分です。
問題は割高になっていることそのものではありません。
問題は、この後払いを、これからも続けるのかどうかです。
年功企業ではそもそも、評価をきっちりやる理由がなかった
後払いの仕組みには、見落とされがちな副作用があります。
評価を真剣にやる理由が、会社にも上司にもなくなってしまうことのです。
考えてみてください。
後払いなのですから、貢献が高かろうが低かろうが、いずれ昇給していく仕組みになっています。
評価をタイムリーに反映したところで、どのみち給与は上がる。
だとしたら、手間をかけて一人ひとりの貢献を見きわめ、差をつけて伝える意味が、どこにあるでしょうか。
差をつけても給与の伸びはたいして変わらない。
ならば、波風を立ててまで正直に伝えるより、無難に揃えておこう。
こうして、評価をきっちりやるインセンティブが、構造としてそもそも働かなかったのです。
その結果、もっと根の深いことが起きました。
「いまの処遇は、いまの貢献と見合っているか」を毎年問い直すという発想そのものが、日本の会社には根づかなかったのです。
代わりに根づいたのは、過去の貢献の積み重ねを評価する風土です。
これまで何をしてきたか。
どれだけ会社に尽くしてきたか。
その総量で処遇を決める。
だから給与は、現在の貢献ではなく、勤続の長さに引っ張られて上がり続ける。
そして当然のように、定年間際にいちばん高くなるのです。
ここに、評価者の心理が重なります。
会計学者のジェニファー・ボルの研究によれば、評価が甘くなる「寛大化」は、低い評価をつけた相手とぶつかりたくないという気持ちから、誰の中にも生まれます(Bol, 2011)。
「長年がんばってくれた人だから」「年上だから言いづらい」。
もともと評価を厳密にやる理由がないところへ、この気まずさが加わってくると、わざわざ正確に評価しないほうがよい、という気持ちはさらに高まってしまうのです。
国内のデータもそれを裏づけます。
評価結果が本人にきちんと伝わり、業績向上に活かされている企業は、決して多数派ではありません(江夏, 2022)。
制度はある。
査定もしている。
けれど、貢献と処遇を毎年突き合わせるという発想が、そもそもないのです。
犯人を取り違えてはいけません。
悪いのは、しっかり評価をしなかった上司ではありません。
評価する理由をつくってこなかった、後払いの仕組みそのものです。
定年が伸びて、後払いの限界が見えてきた
この仕組みは、長いあいだ、ある条件のもとで回っていました。
60歳で会社都合で解雇になる、定年という仕組みです。
定年があるかぎり、後払いの支払いには終わりがあります。
賃金が貢献を上回る期間は、定年までと決まっている。
会社が抱える負担に、自動的にフタがされていたのです。
じつはラジアーが定年制の存在を説明したのも、まさにこの理屈でした。
ところが、その定年が伸びています。
努力義務だったはずの65歳までの雇用は完全に義務になりました。
そして70歳までの就業機会提供は、今はまだ努力義務ですが、10年以内に義務化されるという噂もあります。
労働経済の文献レビューは、年功的な仕組みのもとで高齢期に賃金が貢献を上回りやすいことを、横断的に確かめています(De Hek & van Vuuren, 2011)。
そうなると、貢献とは無関係に膨らんだ報酬を、より長い期間、払い続けることになる。
そして、会社が負担できる人件費には、限界が来ます。
そこで会社は、ある瞬間に方針を変えます。
役職定年。
60歳定年後の再雇用。
60歳を過ぎたとたん、それまで一度も問われなかった「貢献と報酬は見合っているか」を、突然つきつけるのです。
矛盾の本質は、ここにあります。
40年近く、貢献と処遇の一致を問わずに従業員を処遇してきた会社が、60歳になったと何に、急にそのバランスを意識させる。
従業員本人にしてみれば、寝耳に水です。これまで誰も、そんなことは言わなかったのですから。
実際には60歳未満の段階で、給料を払い続けてはいるものの、その人にまかせる仕事が実際にはほとんどない、という状態の社員がいます。
景気が悪くなっても簡単には人を減らせないため、会社が余分に人を抱え込んでいる。
労働経済では、これを労働者の抱え込み(レイバーホーディング)と呼びます。
この「超過雇用」とも言える状態の人は、2025年に415万人、働く人全体の8.2%に達すると推計されました。
1995年には186万人、3.9%でしたから、人数も比率も倍以上です(リクルートワークス研究所, 2015)。
仕事に対して人が余っているのではありません。
報酬に対して、まかせられる仕事が追いついていないのです。
ミドル・シニアの調査でも、似た傾向が見えます。
「出世したいと思わない」人が「出世したい」人を上回るのは42.5歳。
役職を退いた後は、37.7%が「やる気・モチベーションの低下」を挙げています(パーソル総合研究所・法政大学石山研究室, 2017)。
これらは、個人の意欲が弱いことを示す数字ではありません。
40年問われなかったことを、ある日突然つきつけられた人の、当たり前の反応です。
ですから、本当に考えるべき問いは、「60歳の人をどう扱うか」ではありません。
後払い型を、これからも続けるのかどうか。これが先にあるべき判断です。
60歳で急にバランスを求めるのと、若いうちから貢献と処遇を合わせていくのとは、まったく別の話なのです。
「タイムリーに評価すればいい」ほど、単純ではない
では、若いうちから貢献と処遇を合わせていけばいい。
そのために、毎年きちんと評価して、正直に伝えればいい。
そう考えたくなります。
ただ、ことはそう簡単ではありません。
一つは、伝え方しだいで逆効果になることです。
フィードバック研究の古典に、クルーガーとデニシによる大規模なメタ分析があります(Kluger & DeNisi, 1996)。
彼らが見つけたのは、意外な事実でした。
フィードバック介入のおよそ三分の一は、かえってその後の業績を下げていたのです。
回数を増やせばよい、という話ではありません。
もう一つは、評価する側の負担です。
一人ひとりの貢献を見きわめ、差をつけ、納得いくまで説明する。
そのやりとりにかかる手間は、ばかになりません。
しかも、いまは年齢を問わず部下を持つ時代です。
自分より年上の部下に、低い評価を面と向かって伝える。
その心理的な重さは、想像以上です。
「もっとちゃんと評価しろ」と上司に号令をかけるだけでは、上司が持ちこたえられません。
評価という冷たい判断を、上司ひとりの覚悟に任せてきたこと。
ここを変えないかぎり、何も動かないのです。
いまは、後払いから抜け出す絶好のタイミング
もう一度、論点を整理しましょう。
本当に会社が考えるべきは、60歳以上の人をどう扱うかではありません。
後払い型を続けるのか、それとも若いうちから貢献と処遇を合わせる形へ移すのか。この判断です。
そこを調整しない限り、60歳時点で急に給与をカットする今の動きを変えることはできません。
ただ、一つだけ、時代による追い風があります。
それは、インフレに伴うベースアップがあたりまえになりつつあるということです。
インフレへの対応として、賃金を底上げする原資が動いている。
つまり、全員の名目の給与を上げながら、その上げ幅に差をつけられるのです。
具体的にはこうです。
貢献度が低い人にも、インフレ対応分の一部は昇給させる。
少なくとも給与は下げない。
その一方で、浮いた原資を、貢献の高い人に厚く回す。
誰の給与も下げずに、貢献と処遇のバランスを、少しずつ寄せていける状況なのです。
給与を下げる改革は、社員の反発を招きます。
けれど、下げずに差をつける改革なら進めやすい。
インフレという追い風が吹いているいまこそ、後払いの構造を静かに組み替える好機なのです。
そのうえで、もう一つ。
評価の責任を、上司の肩から降ろします。
貢献度を測る基準を、会社が制度として用意する。
生産性などの指標を明確にし、判断のよりどころを、上司の主観から仕組みの側へ移していく。
そうすれば、上司は「自分が悪者になる」重さから解放されます。
ここで、私がかねて大切にしている言葉を申し上げます。
設計はクールに、運用はホットに。
冷たい線引きを制度に任せるからこそ、上司は運用の場面で、励まし、支え、ともに次を考えるという、人間らしい温度を取り戻せます。
冷たさを設計に任せることで、運用に温かさが戻ってくるのです。
なお、この「貢献を測る指標」を具体的にどう設計するかは、それ自体が大きなテーマです。
稿を改めて、あらためてご紹介します。
その先にある、労働市場を踏まえた人的資本の契約

もう一段、先の話をします。
評価を処遇に連動させる仕組みが整うと、会社と個人の関係は変わります。
後払いという、目に見えない約束に頼る関係から、いまの貢献といまの処遇が見合う、すっきりした関係へ。
その先にあるのが、労働市場を踏まえた人的資本の契約という考え方です。
従業員個人から見た人的資本の価値は、おおまかにこう捉えられます。
年収を期待収益率で割る。
年収500万円を期待収益率5%で割れば、1億円。
一人ひとりが、市場価格を持った1億円以上の資本だ、という見方です。
会社と個人が、早いうちにこの見方に立てるかどうか。
後払いの見えないツケを抱え込み続けるのか、それとも市場価格をもとにした開かれた契約へ組み替えるのか。
ここが、これからの分かれ道になります。
正直に申し上げれば、この考え方が当たり前になるには、まだ時間がかかります。
年功と終身雇用に対する慣れは、それだけ根強く残っているからです。
だからこそ、先に踏み出した会社が伸びるのです。
見えないツケを、目に見える強みに変える。
それを他社に先んじてやった会社にだけ、「ここで最後まで活躍したい」と思える人材が集まります。
シニアの活躍とは、引き止めの工夫ではなく、伝えるべきことを先送りしない仕組みから、おのずと生まれてくるものなのです。
冒頭の問いに戻りましょう。
「ベテランが給料に見合って動かない」のは、本人のせいでも、上司のせいでもありません。
後払いという仕組みが、評価をきっちりやる理由を、そもそも会社に与えてこなかった。そのツケです。
問われているのは、この後払いを続けるかどうかです。
そして、抜け出すなら、いまがいちばんやりやすい。
ベースアップという追い風が吹いているうちに、誰の給与も下げずに、貢献と処遇を寄せていける。
先に動いた会社から、強くなっていきます。
参考文献
- Lazear, E. P. (1979). Why Is There Mandatory Retirement? Journal of Political Economy, 87(6), 1261–1284.
- Lazear, E. P. (1981). Agency, Earnings Profiles, Productivity, and Hours Restrictions. The American Economic Review, 71(4), 606–620.
- 高橋伸夫 (2003)「日本型年功制の再評価:賃金の成果主義をどう考えるか」『赤門マネジメント・レビュー』2(8)/高橋伸夫『虚妄の成果主義』日経BP社, 2004.
- Bol, J. C. (2011). The Determinants and Performance Effects of Managers’ Performance Evaluation Biases. The Accounting Review, 86(5), 1549–1575.
- De Hek, P., & van Vuuren, D. (2011). Are Older Workers Overpaid? A Literature Review. International Tax and Public Finance, 18(4), 436–460.
- Kluger, A. N., & DeNisi, A. (1996). The Effects of Feedback Interventions on Performance: A Historical Review, a Meta-Analysis, and a Preliminary Feedback Intervention Theory. Psychological Bulletin, 119(2), 254–284.
- 江夏幾多郎 (2022)「日本企業の報酬・評価制度の動向:『人事白書2021』調査結果に基づいて」『日本労務学会誌』.
- データ出所:雇用保蔵者推計=リクルートワークス研究所「2025年 働くを再発明する時代がやってくる」(2015)/ミドル・シニアの躍進実態調査=パーソル総合研究所・法政大学石山研究室 (2017).
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