賃上げの基準をどう決めるか。多くの経営者は「今年は何パーセント上げるか」から考えます。しかし、率から考えること自体が、限られた原資を最も非効率に使う入口です。
本稿では、賃上げを「率」ではなく「原資と配分」という経営判断として捉え直します。
当たり前に聞こえるかもしれませんが、実は大半の会社がこの当たり前を実践できていません。
- 賃上げを「率」で決めることが、なぜ原資を溶かすのか
- 「公平な一律ベア」が、辞めてほしくない人を辞めさせる理由
- 原資を「先に決めて」配分する、地に足のついた手順
- 賃上げの基準づくりに悩む中小・中堅企業の経営者
- 人件費計画と昇給原資の決め方を見直したい管理本部長・人事責任者
- 一律のベースアップに疑問を持ち始めた経営層
【結論】賃上げの成否は「率」では決まらない

先に結論をお伝えします。賃上げの成否を分けるのは、賃上げ率の数字ではありません。次の3つを経営として決められているかどうかです。
- 原資:相場ではなく、自社の財務から賃上げに充てられる総額を先に決める
- 配分:全員に薄く配るのか、伸ばしたい人材に厚く配るのか
- 持続可能性:下げられない固定費として、来年以降も背負えるか
「当たり前ではないか」と感じたかもしれません。
ところが多くの中小企業はこの当たり前を実践できておらず、無意識に率で決め、限られた原資を溶かしています。なぜそうなるのか。よくある3つの誤解として解き明かします。
誤解① 相場に合わせて率で決めると、見えない固定費が雪だるま式に増える

賃上げの判断を、世間相場や前年実績に委ねていないでしょうか。相場は「他社の事情」であって、「自社が何にいくら払えるか」とは無関係です。そして相場に率で追随する怖さは、負担が見えにくいことにあります。
月給30万円の社員を3%上げると、年約11万円増。さらに社会保険料の会社負担(給与の約15%前後)が乗り、社員100人なら年1,000万円超の固定費増です。賃上げ率3.6%という相場の数字は、こうした実負担を覆い隠します。
特に採用競争の激しい初任給は、相場に引きずられやすい典型例です。詳しくは以下の記事で解説しています。

しかも基本給の引き上げは、業績が落ちても下げられない固定費です。賞与のように業績で調整することができません。
加えて、中小企業の労働分配率は付加価値の8割近くにすでに達しているとも指摘されます。原資の余地が薄いところに、下げられない負担を相場任せで積み増す。これが「相場に合わせれば安心」という誤解の正体です。
固定費と変動費のバランスをどう設計するかは、原資マネジメントの観点から賞与制度を組み立てる考え方も参考になります。

誤解② 「一律で上げるのが公平」が、辞めてほしくない人を辞めさせる

「全員に同じ率で上げるのが公平だ」。この感覚こそ、限られた原資を最も無駄にします。
総原資1,000万円を100人に一律で配れば、一人あたり年10万円。成果を出した人にも、そうでない人にも、同じ10万円です。原資が薄い中小企業では、この「公平な薄まき」が、最も貢献した中核人材の不満を生みます。
結果として、一律の賃上げは、辞めてほしくない人から先に辞めさせかねません。同じ1,000万円でも、評価に応じて傾斜をつければ、中核人材に年20〜30万円、標準層に数万円と、伸ばしたい人材に厚く報いられます。
配分の差は不公平ではなく、会社が誰に未来を賭けるかという意思表示です。ただし、納得感のある差をつけるには、機能する評価制度が前提になります。
昇給・賞与という配分そのものを成長戦略のメッセージとして機能させる考え方は、以下の記事で詳しく解説しています。

誤解③ 原資は「ひねり出す」ものではなく、「先に決める」もの

「原資は、なんとか捻出するもの」と考えていないでしょうか。順序が逆です。原資は先に決めるものです。
まず賃上げの財務インパクトを、必要な売上にまで翻訳します。人件費を年1,000万円増やすなら、粗利率30%の会社では約3,300万円の売上増が必要になります。ここまで具体化して初めて、どこまで出せるのかを地に足をつけて判断できます。
次に、賃上げをベースアップと定期昇給に分けて把握します。定期昇給は賃金カーブに沿って毎年自動的に出ていく分、ベースアップは水準そのものの底上げです(中小企業の目安は定期昇給1.3〜1.5%、ベースアップ3.0〜3.3%程度)。自動的に出ていく定昇分を押さえれば、追加でベアに回せる、本当に動かせる原資が見えてきます。
この定期昇給とベースアップという二本立ての仕組み自体が、インフレ時代には限界を迎えつつあります。詳しくは以下の記事で解説しています。

そのうえで、個別の昇給を積み上げる前に、「今年の総原資はいくらまでか」を経営として先に確定させます。一人ずつ決めて合計すると、原資はほぼ確実に想定を超えます。
上限を先に置き、その範囲で配分を設計する。これが「ひねり出す」から「設計して決める」への転換です。
原資を「増やす」道は、価格・数量・生産性の3つしかない

ここまでは今ある原資の話でした。では、原資そのものを増やすにはどうすればよいか。
現実を直視すると、利益は「売上(価格×数量)−経費」で決まるため、増やす道は、
- 価格を上げる
- 数量を増やす
- 生産性を高める
の3つしかありません。魔法のような第4の手段は存在しません。
価格と数量をどう伸ばすかは、経営戦略や営業・マーケティングの領域です。人事の観点から確実に効かせられるのは生産性、すなわち一人あたりの付加価値で、これは評価・育成・配置で高められます。
そして稼ぐ前にできるのが、ここまで述べた、今ある原資の配分の組み替えです。原資は「増やす」だけでなく「生み出す」ものです。この視点が、中小企業の現実的な打ち手になります。
いずれの人事の打ち手についても、我々セレクションアンドバリエーションではご支援させていただいております。まずはお気軽にご相談いただけたらと思います。

よくある質問
Q. 賃上げ率は何%を基準にすればよいですか?
A. 一律の正解はありません。中小企業の賃上げ率は正社員で3.6%程度という調査もありますが、これは相場であって自社の基準ではありません。まず自社の財務から賃上げに充てられる原資の上限を確認し、その範囲で配分を設計した結果として率が決まる、という順序で考えることをお勧めします。
Q. 賃上げの原資はどう確保すればよいですか?
A. 原資を増やす道は、価格を上げる・数量を増やす・生産性を高める、の3つに整理できます。価格と数量は経営・営業戦略の領域ですが、生産性(一人あたり付加価値)は評価・育成・配置といった人事の仕組みで高められます。あわせて、評価制度による配分の見直しで、今ある人件費から原資を生み出す視点も有効です。
Q. 一律のベースアップとメリハリのある配分、どちらがよいですか?
A. 原資に余力がある場合は一律の底上げも選択肢ですが、原資が限られる中小企業では、評価に応じてメリハリをつける配分のほうが、伸ばしたい人材に厚く報いられます。たとえば1,000万円を100人に一律なら一人年10万円ですが、傾斜をつければ中核人材に年20〜30万円を配ることもできます。ただし納得感のある差には、機能する評価制度が前提です。
Q. 賞与で還元するのと基本給を上げるのは何が違いますか?
A. 基本給の引き上げは業績が変動しても下げにくい固定費の増加であるのに対し、賞与は業績に連動させやすく、固定費化を避けられます。底上げは基本給、単年度の成果還元は賞与、と役割を分けて設計すると持続可能性が高まります。
まとめ
賃上げの基準について、本稿の要点を整理します。
- 賃上げの成否は「率」ではなく、原資・配分・持続可能性の3つで決まる
- 相場に率で追随すると、社会保険料込みの実負担と下げられない固定費が見えないまま膨らむ
- 「一律=公平」な賃上げは、辞めてほしくない中核人材から辞めさせかねない
- 原資はひねり出すのではなく、財務から逆算して総額の上限を先に決める
- 原資を増やす道は価格・数量・生産性の3つ。人事が効かせられるのは生産性と配分の最適化
最後に、どれだけ合理的に設計しても、その考え方が社員に伝わらなければ納得感は生まれません。「なぜこの水準で、この基準で配分したのか」を経営者自身の言葉で説明できること。それが賃上げを処遇への信頼に変えます。賃上げは、コストの調整ではなく成長戦略の一部です。率から考える習慣を手放すところから始めてみてはいかがでしょうか。
賃上げ原資の設計や評価制度による配分の見直し、報酬制度の再設計に関するご相談は、セレクションアンドバリエーション株式会社までお気軽にお問い合わせください。
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