グループ経営を直接支援する変革支援・DX戦略子会社への変革
設立2020年代
従業員約90名
売上約30億円
提供サービス人事戦略策定
実施期間4ヶ月
支援時期2022年~2023年
対象層・対象人数全社
事例サマリー
背景
企業グループ向けの情報システム開発・運用を担う同社は、近畿地方に本社を置く。母体となる情報システム部門は1960年代に発足し、その後の分社と統合を経て、2022年に新設分割によって独立した会社として設立された。
グループの中期経営計画では、同社に対してグループ内向けのシステム運用管理にとどまらない役割が求められていた。既存事業の変革と新規事業の創出を企画段階から担う位置づけであり、機能子会社から変革支援子会社への引き上げが想定されていた。
一方で、人事の仕組みは母体である親会社の制度をそのまま踏襲していた。新卒一括採用と終身雇用を前提とし、年齢給と職能給で基本給を構成する、歴史ある事業会社に典型的な体系である。
期待される役割と、それを担う人材を処遇する仕組みとの乖離は、デジタル人材の離職という形で表面化していた。設立直後の会社が、人員の流出を抱えたまま新しい役割を引き受ける状態にあった。
課題(Before)
支援当時 従業員50名前後の同社では、賃金分析、現行制度分析、キーパーソンインタビューの3つを並行して実施し、次の課題を確認した。
1.報酬水準が労働市場と乖離していた。同一地域・同一業種・同一規模帯の統計値と比較すると、月額で5万円から20万円の差があり、とくに主任・係長層で乖離が大きかった。転職市場での比較が容易な職種において、留まる理由が乏しい状態であった。
2.管理職と一般職の給与に逆転現象が生じていた。課長職は残業手当の対象外となる一方、役職手当が逆転を打ち消す水準になかった。管理職層からは、部下に管理職登用を勧める際に実態を伝えられないという声が挙がっていた。
3.昇給額が市場水準を下回っていた。年齢給と職能給による積み上げでは、物価の変動にも市場の変動にも追随できず、若年層ほど将来の見通しを持ちにくい構造であった。
4.賞与が生活給として一律に支給されていた。会社業績にも個人の成果にも連動しないため、成果を出した人材が報われない。同時に、業績への当事者意識も育たない状態であった。
5.一部の人材へ業務が集中していた。教育体系が機能しておらず育成がOJTに依存していたため、業務に習熟した人材ほど負荷が高まる。負荷の集中が、そのまま離職リスクの集中となっていた。
6.非金銭面の処遇がグループ内で不均衡であった。健康診断の項目、福利厚生の適用範囲、住宅補助の水準が親会社と異なっており、同じグループに属しながら扱いが違うという不満が生じていた。
7.上位者とのコミュニケーション機会が不足していた。管理職自身の業務量が多く、部下の状況を把握する時間が確保できない。意見を挙げても反映されないという認識が定着しつつあった。
8.設立直後であり、中長期的に求められる役割が社内で共有されていなかった。制度を作り替えるにしても、何を基準に設計するかの拠り所が存在しなかった。
目的と設計方針
同社に対し、セレクションアンドバリエーションが設定した目的は2つである。ひとつは進行中の離職を止めること、もうひとつは今後のあるべき姿を定義することである。この2つは求められる速度が根本的に異なるため、単一のプロジェクトに統合せず、2本を並行して走らせる方針をとった。
第1のプロジェクトを喫緊対応と位置づけた。制度の完成を待たずに、年度内に具体化と適用まで到達することを条件とした。人員が流出し続ける状態では、設計の前提となる組織そのものが変質してしまうためである。
第2のプロジェクトを人事グランドデザインと位置づけた。グループから期待される役割の整理、求める人材像の言語化、キャリア・育成方針の策定、報酬・評価方針の策定、マイルストーンのアクションプラン化までを範囲とし、詳細設計には踏み込まない。方針を先に固め、設計はそこから降ろす順序とした。
喫緊対応の設計方針は、衛生要因と動機づけ要因に課題を区分したうえで、まず衛生要因から手を付けることである。金銭報酬の水準が市場と乖離している状態では、動機づけ要因への施策が機能しないと判断した。
グランドデザインの設計方針は、IT系機能子会社の成長段階を3段階(機能子会社、変革支援子会社、DX戦略子会社)で定義し、各段階に必要な人材要件を先に置くことである。人事制度を人事の論理ではなく、事業戦略の到達段階から逆算して設計する構成とした。
実際に構築した制度のポイント
喫緊対応では4領域の施策を、グランドデザインでは5つの方針を定めた。内容は次のとおりである。
【喫緊対応:金銭報酬】
1.市場統計との乖離額を役職別に算出した。同一地域・同一業種・同一規模帯の賃金統計から年代別の年収を求め、社員ごとに差額を算出したうえで、役職単位の平均値として集計した。全社での増額総額を2案(全員が市場水準を超える案、その半分を適用する案)で試算し、意思決定の材料とした。
2.支給を2段階に分けた。算出した是正額の半分を2022年度末の一時金として支給し、残りを2023年度の月例給与に手当として組み込む方式とした。会社収支への影響を抑えつつ、継続的な処遇改善であることを支給の形式で示す構成である。
3.採用時の提示条件と選考過程を整備した。報酬水準の明示方法と労働条件を見直し、2023年度の採用から適用した。
【喫緊対応:非金銭報酬】
4.健康診断の項目を拡充した。血液検査、検尿、心電図を追加し、一人あたりの年間費用の増加額を試算したうえで導入した。
5.福利厚生の適用範囲を検討した。親会社の福利厚生制度の展開と、自社独自の制度の新設を比較し、それぞれの年間費用を試算して選択肢として提示した。
6.上位者とのコミュニケーション機会を設計した。管理職と一般社員が接点を持つ仕組みを複数案で提示するとともに、管理職側のコミュニケーション能力を高める研修とマネジメントアセスメントを組み合わせる方向性を定めた。
7.働き方関連の施策を整理した。リモート勤務の拡大とそれに伴う手当、備品の選択制や購入予算の設定を検討対象とした。
【人事グランドデザイン】
8.グループからの期待役割を定義した。グループ全体の中期経営計画とDX推進部門のミッションを起点に、同社が担うべき役割を文章として確定させた。
9.求める人材像を言語化した。グループ各部門と連携しながら、企画された内容の実装と運用を担う人材と定義し、プロフェッショナル人材とマネジメント人材の2類型に区分した。
10.キャリアパスの骨格を定めた。プロフェッショナルコースを基軸とし、専門性の習得と発揮、社内貢献と指導、業界貢献とリードの3段階でキャリアの階層を設計した。マネジメントへの転換は、プロフェッショナルからの展開として位置づけた。
11.賃金カーブの方針を定めた。年齢と勤続年数によって基本給が増える年功後払い型から、等級ごとに幅を持つレンジレート(範囲給)へ移行する方針を確定させた。あわせて、同一等級に滞留するほど昇給幅が逓減するマトリクス昇給を昇給ルールの候補として提示した。
12.賞与の方針を定めた。生活給としての一律支給を廃止し、全社業績と個人評価を反映する利益配分型へ改定する方向を確定させた。マネジメント層の報酬は親会社の水準を基軸とし、プロフェッショナル層は市場水準と収益性を基軸とする、二系統の考え方を採用した。
導入後の変化
1.離職が止まった。報酬水準の是正を適用した後、2023年度に離職者ゼロを達成した。一括の一時金ではなく継続する手当として支給したことが、会社が方針を変えたという事実として受け止められたことによる。
2.社員の受け止めが想定を上回った。支給額そのものに対する驚きに加え、金銭面に厳格であった従来の姿勢から、人材への還元へ舵を切ったこと自体が変化として認識された。
3.採用における条件提示ができるようになった。それまでは応募者の希望額に応えられず選考の途中で競り負けていたが、水準の是正により、ある程度の希望額を提示できる状態となった。
4.詳細設計の前提が確定した。求める人材像とキャリア・報酬の方針が文章として定まったことで、続く人事制度の詳細設計は、方針との整合を確認しながら進める形になった。等級数や賃金テーブルの水準を、その場の議論で決める必要がなくなっている。
5.親会社との合意形成の材料が整った。市場統計に基づく乖離額という外部の基準を用いたことで、人件費の増加を感覚ではなく数値で説明できる状態となった。
人事制度改革は、設計の質だけでは成立しない。設計している間にも人は動くためである。セレクションアンドバリエーションは、進行中の流出を止める施策と、あるべき姿を描く作業とを別のプロジェクトとして同時に走らせることで、設計の前提そのものが失われる事態を回避した。
本プロジェクトの特徴
本案件の判断は3つある。いずれも一般的な進め方から外れた選択であり、その理由を以下に示す。
1.緊急対策と方針策定を、順番ではなく並行で走らせた。
一般には、方針を固めてから施策を打つ。順序を守るほうが施策間の整合はとりやすいためである。本案件では離職が進行中であり、方針策定の5か月を待つ間に人員が流出する状態にあった。そこで喫緊対応を独立したプロジェクトとして立て、その原資と考え方をグランドデザインの報酬方針へ引き継ぐ構成とした。整合よりも、設計の前提となる人員の維持を優先した判断である。
2.喫緊対応の金銭施策を、一時金のみで終わらせなかった。
一時金は総額を抑えやすく、業績が振れた際の後戻りもしやすい。しかし一時金は「今回限りの措置」として読み取られる。本案件では、算出した是正額の半分を年度末の一時金、残りを翌年度の月例給与に組み込む手当として支給した。会社の方針が変わったことを、支給の形式そのもので示す必要があると判断したためである。
3.人事課題の解決から入らず、事業戦略の到達段階から逆算した。
人事の課題は、課題の一覧を作って優先順位をつける形で処理されることが多い。本案件では、IT系機能子会社の成長段階を3段階で定義し、各段階に必要な人材要件を先に置いたうえで、現状との差分として課題を並べ替えた。設立直後で拠り所が存在しない組織では、課題の重さではなく、事業がどこへ向かうかによって優先順位が決まると判断したためである。
担当コンサルタント: 松木 宏晃 、 山田 沙樹 、 平康 慶浩
最も判断を要したのは、報酬の是正をどの形式で支給するかでした。一時金であれば総額を抑えられますし、業績が振れたときの後戻りもできます。ただ、それでは「今回限り」と受け取られてしまいます。半分を一時金、残りを翌年度の月例手当という形にしたのは、金額の大きさではなく、会社が方針を変えたという事実を伝えたかったからです。結果として、その意図のとおりに受け止めていただけたと考えています。
よくあるご質問
グループから期待される役割の定義から着手すべきである。分社直後は制度の拠り所となる方針が存在せず、等級や報酬から手をつけると設計の根拠を示せなくなる。本事例では、期待役割の整理、求める人材像の言語化、キャリア・育成方針と報酬・評価方針の策定までを人事グランドデザインとして先行させ、詳細設計はそこから降ろす順序をとった。
Q2. 離職が進行しているとき、制度設計の完了を待つべきか、先に処遇を是正すべきか。
先に是正すべきである。制度設計には半年から1年を要するが、その間も人員は流出する。設計を待つという判断は、設計の前提となる組織構成が変わることを許容する判断と同じである。本事例では、喫緊対応を独立したプロジェクトとして立て、算出した是正額の半分を年度末の一時金、残りを翌年度の月例手当として、方針策定と並行して適用した。
Q3. 人事グランドデザインでは具体的に何を決めるのか。
等級数や賃金テーブルといった制度の中身ではなく、その手前の方針を決める。具体的には、経営から期待される役割の定義、求める人材像の言語化、キャリア・育成方針、報酬・評価方針、実行のマイルストーンである。方針が定まっていれば、詳細設計の段階で「なぜこの等級数なのか」という問いに答えられる。方針がないまま設計に入ると、議論がその場の力関係で決着する。
Q4. IT人材の離職を止めるうえで、報酬水準の引き上げはどの程度効果があるのか。
水準の是正だけでは足りないが、水準が市場と乖離している状態では他の施策が効かない。転職市場での比較が容易な職種では、報酬の差はそのまま留まる理由の有無として認識される。本事例では、統計値との乖離額を役職ごとに算出して是正を適用し、あわせて健康診断の拡充や福利厚生など非金銭の施策を組み合わせた結果、2023年度に離職者ゼロを達成している。
Q5. 親会社と子会社で人件費の増額を協議する際、何を材料にすべきか。
外部の統計に基づく乖離額を材料にすべきである。「他社より低い」という定性的な説明では、親会社側に判断の基準が生まれない。本事例では、同一地域・同一業種・同一規模帯の賃金統計から年代別の年収を求め、社員ごとの差額を役職単位で集計した。増額の総額を複数案で試算し、どの水準まで是正するかを選択できる形で提示している。