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SaaS企業の人事グランドデザイン設計|複線型行動等級によりコロナを超えて成長

IT・情報通信

急成長するITプラットフォーム企業における、人材の挑戦と定着を両立させる人事制度改革の実践

設立1990年代

従業員約880名(連結)

売上約190億円

提供サービス人事制度設計

実施期間15カ月

支援時期2019年~2020年

対象層・対象人数全社

事例サマリー

関東地方のSaaS企業(企業間取引のクラウドサービスを運営、支援当時 従業員450〜500名)に対し、セレクションアンドバリエーションが人事グランドデザインの設計から等級・評価・報酬・育成の再構築までを支援した事例である。管理職への昇格しか用意されていなかった単線型等級を、マネジメントとプロフェッショナルの複線型行動等級へ再編した。同制度は稼働から2度の社長交代を経てなお運用が続いている。

背景

関東地方のSaaS企業である同社は、企業間取引のクラウドサービスを主力として成長を続けていた。支援開始時点で「成長と利益の両立」「収益源の多角化への仕掛け」を中期経営方針に掲げ、売上高100億円突破と営業利益30億円超を中期業績目標としていた。

事業側の目標に対し、人材側の要件が具体化されていなかった。経営幹部候補となる管理職層の育成、多角化を支える人材の確保、既存事業外への展開を担う人材の育成という3点が、経営から示された論点であった。

一方で人事制度は、管理職として昇格することを前提とした単線型のまま据え置かれていた。事業計画の速度に、人材マネジメントの仕組みが追いついていない状態にあった。

プロジェクトは人材開発部が主導し、中期経営方針との整合を担保する観点から経営企画部も参画した。制度の部分修正ではなく、求める人材像の定義から始めるグランドデザインの手法が採用の決め手となった。

課題(Before)

企業間取引のクラウドサービスを主力とする同社において、調査・エンゲージメント調査・経営層とのディスカッションから確認された課題は次のとおりである。

1.管理職以外のキャリアが存在しなかった。等級は課員から部長までの単線であり、マネジメントを担わない高業績者を処遇する方法がない。結果として、エースプレーヤーの離職と、不適格者の管理職昇格という2つの逆機能が同時に生じる懸念があった。

2.ポスト不足により、昇格できない層が滞留していた。等級と役職が事実上一体であるため、組織の器が空かない限り成長が処遇に反映されない。

3.現等級に求められる役割を担えていない人材が滞留していた。降格の運用ルールが定まっておらず、一度上がった等級が実質的に固定化していた。

4.部門ごとに昇格の速度差が生じていた。昇格判断の基準と決裁ルートが標準化されておらず、所属によって成長機会の見え方が変わっていた。

5.評価項目が情意と組織管理に偏っていた。上位等級の項目に「昇進意欲があるか」といった内容が含まれ、育成につながらない。顧客視点と専門知識に関する記述は下位等級で止まっており、専門職を処遇する基準が存在しなかった。

6.目標管理制度は存在したが、組織目標と個人目標の連動が弱かった。目標設定の難易度が個人によって異なり、期初の設定時期と評価対象期間もずれていた。4月に設定し12月に総括する運用のため、1月から3月に実施する業務の目標が設定できない状態にあった。

7.月例給が評価ごとの洗い替え方式であった。評価が下がれば即座に減給となるため、考課者が高い評価をつけやすく、評価の甘さを構造的に生んでいた。昇格しない限り給与が動かない点も、継続的な成長を促す仕組みとしては弱かった。

8.平均給与水準そのものは低くないが、分散が大きかった。同業他社によるハイパフォーマーの囲い込みが進むなか、報酬の納得感が定着の論点となっていた。

9.計画的な異動の仕組みがなく、縦割り意識と近視眼的な発想が生じていた。育成方針が明文化されておらず、教育が現場任せでばらつきを生んでいた。

目的と設計方針

支援当時従業450名~500名の同社に対し、セレクションアンドバリエーションが設定した目的は、成長と利益の両立を支える人材基盤を、制度として具体化することであった。

設計方針の第1は、求める人材像を先に定義することである。等級・評価・報酬・教育の各要素を個別に手直しするのではなく、「どんな人材に育ってほしいか」を経営の視点と従業員の視点の双方から定義し、そこから各制度の方向性を導く順序をとった。

第2は、対症療法を採らないことである。評価の甘さに対して賞与差の廃止や昇給考課の廃止で応じる手法は、優秀者の不満や短期成果志向という副作用を生む。課題の本質を等級構造まで遡って特定する方針とした。

第3は、専門性の発揮を上位等級まで接続することである。ビジネスニーズに応じて最適な人材に最適な役割を与えるため、年齢を問わず高い成果に挑む人材を高く処遇できる構造を志向した。

第4は、報酬水準ではなく決定ルールを変えることである。市場水準への対応は必要だが、同社の課題は水準の絶対値ではなく分散と改定ルールの不透明さにあると整理した。

実際に構築した制度のポイント

同社において構築した制度の骨格は次のとおりである。

1.等級を7段階の行動等級へ再編した。従来の14区分を整理し、各段階に期待する行動を定義することで、上位等級への期待を全従業員に開示できる構造とした。

2.マネジメントコースとプロコースの複線型とした。プロコースは執行役員相当(7等級)まで定義し、「管理職になれない人の受け皿」とならない上限設定とした。

3.コース転換ルールを双方向で設けた。係長相当(4等級)に昇格して1年経過後に本人申請が可能となり、部長相当(6等級)で管理職コースへの再転換も可能とした。転換申請書には本人の希望理由と、上司が転換後に任せたい業務を併記させる。

4.コンピテンシーディクショナリを7軸で構築した。顧客ニーズ把握、コミュニケーション、業務遂行力、企画・推進力、チームワーク、組織運営、人材育成の7軸を、等級ごとの具体的な行動記述に落とし込んだ。開発職と専門職には、技術戦略の策定や社外での登壇・寄稿といった追加基準を上位4段階に設定した。

5.昇格ルールを等級帯によって変えた。総合評価A以上を条件とし、原則2年の滞留を置く。5等級以上への昇格には他部署責任者からの推薦とアセスメントを課し、6等級から7等級は経営会議の決裁事項とした。

6.降格ルールを「改善のための制度」として設計した。D評価でノミネートののち、改善計画書を上司部下で合意し、1年間の改善期間を置いたうえで協議する。給与は下位等級の上限に達するまで年2万円ずつの減額に留め、激変を緩和する。

7.評価を行動評価と業績評価の2本立てとした。昇給・昇格の判断は行動80パーセント・業績20パーセント、賞与は行動20パーセント・業績80パーセントを目安とし、判断ごとに重みを変えた。

8.業績目標をマトリクス形式とし、上司が先に配分する順序とした。本人が記入してから面談する順序は、低い目標設定を招きやすく、面談が否定的なものになりやすい。組織目標をマトリクスシート上で分解し、所属ミーティングで全員の目標を共有したうえで個別のアクションプランを詰める流れとした。

9.月例給を洗い替え方式から積み上げ方式へ変更した。等級ごとの給与レンジを28号俸に細分化し、評価に応じた昇給号俸を設定する。等級内で21号俸を超えると昇給幅を抑え、上位等級への挑戦を促す構造とした。

10.昇格時の最低昇給額を等級間ごとに定めた。通常昇給が最低額を上回る場合は加算しない設計とし、昇格の意味を給与面でも明確にした。

11.評価スケジュールを評価対象期間と一致させた。上位目標が未決のまま評価期間に入る状態と、期間完了を待たずに賞与考課が始まる状態を解消し、中間面談を最低3か月に1回、行動面談を毎月実施する運用とした。

12.360度評価は「上への評価」から導入することとした。横・斜めの評価は運用負荷が大きいため、まずはフィードバック面談の実施状況を一般社員層に調査し、考課者育成と任免判断の材料として活用する設計とした。

13.育成体系をコンピテンシーのギャップから設計した。上位等級と下位等級の間で求める行動が大きく変わる箇所を特定し、昇格の前後にOff-JTを配置する構造とした。計画的な異動は、育成とキャリア開発を主目的とし、執行役員の合議により年1回決定する案をまとめた。

14.移行と浸透を2段構えとした。2020年に運用ルールと考課表を完成させ、新等級の通知と制度変更の周知を行ったうえで、行動評価と業績評価を試行した。本稼働は2021年1月とし、等級・給与・賞与の確定とフィードバック面談までを一巡させる計画とした。

導入後の変化

SaaS企業である同社において、新人事制度は2021年の稼働から5年以上にわたって運用されている。以下は公開情報から確認できる事実である。

1.求める人材像の3要素が、現在も同社の採用サイトに掲載されている。「チャレンジし続ける人」「思いやりを行動に移せる人」「愚直な姿勢を大事にする人」という3項目は、本プロジェクトでコンピテンシーの下支えとして定義したものである。掲載されている説明文は、当時作成したコンピテンシーディクショナリの記述とほぼ一致する。制度の内部文書に留まらず、社外への発信軸として機能し続けている。

2.評価と処遇のカレンダーが設計どおり残っている。昇給は年1回・1月、賞与は年2回・2月と8月として公開されており、これは評価対象期間を網羅するために再設計した日程と整合する。

3.育成体系が整備・公開されている。階層別研修、リーダー向け研修、キャリア入社時研修、OJT、eラーニングという構成は、コンピテンシーのギャップから研修を配置するという設計方針の延長線上にある。

4.従業員数は制度導入後に大きく拡大している。支援当時の455名(2019年12月末・単体)から、2025年12月末には828名となった。約1.8倍の規模拡大を、同一の等級・評価・報酬体系のもとで受け止めている。

5.業績も拡大している。売上高は2019年12月期の85億円から2025年12月期には188億円となり、支援当時に中期業績目標として掲げていた売上高100億円は達成された。人事制度がこの拡大をもたらしたと述べることはできないが、規模と難易度が変わる過程で、処遇の枠組みを作り直す必要が生じなかったことは確認できる。

6.経営体制は交代している。支援当時のプロジェクトオーナーであった社長は現在取締役であり、その後2度の社長交代を経ている。意思決定者が入れ替わってなお、等級・評価・報酬の骨格は維持されている。

7.同社は現在、「役割・責任に基づく人材マネジメント」への転換を自社主導で進めている。行動等級を土台としながら、次の軸へ移行しようとしている段階にある。制度が形骸化して放置されたのではなく、更新の対象として扱われていることを示す動きである。

人事制度は、導入時点の完成度ではなく、5年後・10年後に自社の手で更新できているかどうかで評価される。セレクションアンドバリエーションが設計した行動等級と複線型キャリアの骨格は、同社において、組織規模の倍増と経営体制の交代を経てなお運用され、次の改定の出発点となっている。

本プロジェクトの特徴

本案件において、判断を要した論点は4つある。

1.評価の甘さへの対処。一般的には、賞与の金額差を廃止する、昇給考課をやめて自動昇給とする、考課者研修を実施する、といった対症療法が採られやすい。本案件では、これらをいずれも採らず、等級構造の見直しから着手した。評価が甘くなる理由は「低評価だと賞与が減る」「昇格判断の前だから嫌われたくない」といった別の要因にあり、対症療法は優秀者の不満や運用による無効化という副作用を生むためである。

2.専門職コースの上限設定。専門職コースは、上限を課長相当や部長相当に切ると「管理職になれない人の受け皿」として認識され、優秀層が選ばなくなる。本案件では執行役員相当まで定義し、さらに部長相当で管理職コースへ戻れる双方向の転換ルールを置いた。選んだ時点で将来が閉じる構造では、本人が専門性の追求を選べないためである。

3.報酬水準に手をつけなかった判断。人材獲得競争が激しい業界では、水準の引き上げが第一の打ち手として検討されやすい。本案件では、等級ごとの月例給水準と段階数、賞与水準そのものは変更せず、決定ルールのみを洗い替えから積み上げへ変更した。同社の課題は水準の絶対値ではなく分散の大きさと改定ルールの不透明さにあり、水準を上げても納得感は生まれないと判断したためである。

4.業績目標の設定順序。目標管理制度では、本人が目標を記入し、上司との面談で調整する順序が一般的である。本案件ではこれを逆転させ、上司がマトリクスシートで先に配分する形をとった。本人記入を先にすると目標が低く設定されやすく、面談が否定を伴うものになって信頼関係の醸成を阻害するためである。

担当コンサルタント: 松木 宏晃平康 慶浩

このプロジェクトで最も判断を要したのは、専門職コースをどこまで上に伸ばすかという点でした。多くの会社では課長相当や部長相当で止めますが、それでは「管理職になれなかった人の行き先」という意味づけが生まれてしまい、本当に専門性の高い方が選ばなくなります。執行役員相当まで定義し、なおかつ管理職側へ戻れる道も残す、という設計をご提案しました。キャリアの選択は一度きりの分岐ではなく、何度でも選び直せるものであるべきだと考えたからです。最終的にその設計を採用いただけたことが、制度が今も残っている理由の一つだと思っています。

よくあるご質問

Q1. なぜジョブ型(職務等級)ではなく、複線型の行動等級を選んだのか。

職務等級は、職務の内容と大きさが安定している組織で機能する仕組みである。事業の拡大が速く、担当する職務そのものが数年で変わる組織では、職務記述書の更新負荷が制度の運用負荷を上回りやすい。本事例のSaaS企業では、職務ではなく発揮行動を等級の基準に据え、行動の高度化を上位等級への昇格要件とした。そのうえで、専門性の発揮を評価するプロコースを併設することで、職務等級が担うはずだった専門人材の処遇機能を補っている。

Q2. 管理職以外のキャリアパスをつくるとき、専門職コースはどこまでの等級を用意すべきか。

管理職コースと同じ最上位等級まで用意することが望ましい。専門職コースの上限を管理職コースより低く設定すると、その差がそのまま「専門職は管理職の下位互換である」というメッセージになり、優秀な専門人材が選ばなくなるためである。本事例では、専門職を執行役員相当まで定義し、その等級に対応する行動基準として、業界の研究会やセミナーでの登壇、専門誌への寄稿といった社外での認知を要件に含めた。

Q3. 月例給の決め方は、評価ごとの洗い替えと号俸の積み上げのどちらがよいか。

どちらにも固有の弱点があるため、組織の課題に応じて選ぶ。洗い替え方式は分かりやすい反面、評価が下がると即座に減給となるため、考課者が高い評価をつけやすくなり、評価の甘さを構造的に生む。積み上げ方式は継続的な昇給を実現できるが、同じ評価でも在籍期間の長い人ほど給与が高くなる。本事例では積み上げ方式を採用したうえで、等級内の給与レンジを28号俸に細分化し、一定の号俸を超えた層は昇給幅を抑える設計とすることで、後者の弱点に対処した。

Q4. 人事制度は何年くらいで作り直す必要があるのか。

制度の骨格と運用ルールを分けて考えるとよい。等級構造とキャリアパスの骨格は、5年から10年の耐用年数を持たせる設計が可能である。一方、評価項目や昇格基準の細部は、事業構造の変化に応じて数年単位での見直しが必要になる。本事例のSaaS企業では、2021年に稼働した行動等級と複線型キャリアの骨格が5年以上運用され、組織規模が約1.8倍になり経営体制も交代したうえで、現在は次の軸への転換が自社主導で検討されている。骨格が残っているからこそ、次の改定を白紙からではなく更新として進められる状態にある。

Q5. 目標管理制度で、目標のレベル感が人によってそろわない場合はどうすべきか。

個人に目標を書かせてから調整するのではなく、上司が先に配分する順序へ変えることが有効である。本人記入を起点にすると、達成可能な水準に寄せた目標が出てきやすく、その後の面談が否定的なものになって信頼関係を損ないやすい。本事例では、組織目標を縦軸、メンバーを横軸としたマトリクスシート上で上司が配分し、所属ミーティングで全員の目標を共有したうえで、個別面談ではアクションプランを詰める流れに変更した。全員分が同時に見えることで、レベル感のばらつきそのものが可視化される。

Q6. 360度評価はどの方向から導入すべきか。

まずは部下から上司への評価(上方向)から始めることを勧める。同僚間(横)や他部署(斜め)への評価は視点として重要だが、評価者と被評価者の組み合わせが急増し、運用負荷が現場の許容量を超えやすいためである。本事例では、上方向の導入にあたっても評価そのものを処遇に直結させず、フィードバック面談が実際に行われたか、上司の説明が事実に沿っていたか、といった実施状況の調査から着手した。部下が結託して上司の評価を下げる、上司が部下におもねる、といった逆機能を避けるためである。