平康 慶浩(セレクションアンドバリエーション株式会社 代表・人事コンサルタント)
報酬制度の見直しの中で、通勤手当の変革はあまり議論になりません。
後ほど示すように、日本の常識の中では、通勤にかかる費用は会社が負担することが当然、というものだったからです。
しかしコロナ後の働き方多様化の中で、通勤手当も議論の俎上に上がることが増えてきました。
また、通勤手当は他の手当類と違い、社会保険料の算定基礎に含まれるという特徴があります。
このことは、制度設計において非常に重要な意味を持ちます。
今回は、そんな通勤手当の歴史と現代的な論点を整理し、「これからどう向き合うべきか」を考えていきます。
昭和:通勤手当は「企業が通勤費を負担するのは当たり前」という価値観から生まれた
日本では、通勤手当が「当然支給されるもの」として扱われてきました。
この背景には、昭和の働き方と社会構造があります。
通勤手当が当たり前になった理由
- 勤務地は企業が指定し、社員はそこへ通うのが前提だった
- 電車・バスでの長距離通勤が一般化
- 都市部の住環境が整っていなかったため、住まいが職場から離れやすかった
- 会社が通勤経費を負担することが「正しい雇用関係」と考えられていた
そのため、通勤手当は「生活手当」でも「能力給」でもなく、企業と社員の雇用契約の一部としての位置づけで運用されてきました。
平成:通勤手当は「制度としては安定、でも負担は確実に増え続ける手当」へ
平成の働き方改革が進む中でも、通勤手当は大きく変化しませんでした。
一方で、企業側の負担は年々重くなっていきました。
平成期の特徴
- 通勤距離の長期化
郊外化の進展により、片道1〜2時間の通勤が珍しくなくなる。 - 定期代の高騰
特に大都市部では企業負担が年々増加。 - “実費補助”であるがゆえに見直しが難しい
他の手当と違い、削減・条件変更に強い反発が生まれやすい。
この時期は、企業にとって「固定費としての通勤手当」が重くなりつつも、制度そのものに手を付けにくい時代でした。
令和:通勤手当は「働き方の象徴」として注目されている
令和に入り、通勤手当は大きな転機を迎えます。
その理由は二つあります。
第一に、働き方の多様化で「通勤」という概念が揺らぎ始めました。
コロナによる働き方の多様化により、ビジネスパーソンの中の一部に、もはや「決まったオフィスへ毎日通う」という前提が成り立たなくなったことがあげられます。
IT系エンジニアを中心として、出社を忌避する人も増えました。
また、企業側としても、高い家賃を払いながら、都心部にオフィスを構えることに対して疑問を持った側面もあります。
そこで働き方として、様々な仕組みが増えました。
- 在宅勤務
- シェアオフィス勤務
- サテライトオフィス
- 直行直帰
- フレキシブルワーク
これらに対応することで、定期代で通勤手当を計算するモデルが古くなりつつあります。
最近では、
- 出社日数に応じた実費精算方式
- 一律通勤手当(月◯円)
- オフィス利用手当・交通支援手当
- リモート勤務手当への置き換え
など、多様なモデルが登場しています。
第二に、社会保険料の算定基礎としての標準報酬月額に含まれるという大問題があります。
通勤手当の最も重要で見落とされがちな点は、「通勤手当は社会保険料の算定基礎額に含まれる」という事実です。
つまり、通勤手当が高いほど健康保険料・厚生年金保険料の会社負担も自己負担も増える、という仕組みになっているのです。
実はこれが企業の報酬制度に与える影響は、小さくありません。
通勤手当が社会保険料計算基礎に含まれることで生じる課題
- 本来「実費補助」なのに、社会保険料においてのみ「給料」と同じ扱いになる
- 遠距離通勤者を多く採用すると企業負担が跳ね上がる
- 社員本人の保険料負担も増えるため、「手取りが減る」と感じやすい
- 報酬改定や制度移行の際に、説明が非常に複雑になる
ただしこれらはあくまでも手当として支給された場合のため、例えば実費精算であったり、在宅勤務手当のような代替手当であったりした場合には社会保険の計算に含まれません。
しっかりした大手企業においては、通勤手当を廃止した際に、その結果として社会保険料の標準報酬月額ランクが下がることすら不利益変更になる、と危惧して、その分を補填する形で在宅勤務手当を設定した例もあります。
企業から増えている相談:通勤手当をどう見直せばよいのか?
このような状況において、人事コンサルタントとして私たちのところに寄せられるご相談で多いのは、次のような内容があります。
見直ししたい状況変化
- リモート主体で定期券制度が合わなくなった
- 社会保険料負担が増えすぎている
- 遠距離通勤だけが不公平に優遇されてしまう
- オフィス移転で制度を整理したい
ここまでに示したように、通勤手当は制度の性質上、変えようとすると影響範囲が大きい手当であるため、慎重な設計が求められます。
そこで、これからの通勤手当を設計する際に企業が押さえるべきポイントをまとめます。
① 働き方を前提に制度意図を言語化する
- 毎日出社を前提とするのか
- 出社頻度はどの程度か
- リモート手当との位置づけ関係はどうするか
制度意図を曖昧にすると、運用で必ず行き詰まります。
② 社会保険料のインパクトを必ず試算する
通勤手当は額面よりも企業負担への影響が大きい手当です。
- 制度変更前後の総額人件費
- 勤務地別・職種別の負担差
- 遠距離通勤者への影響
これらは必ず試算したうえで制度設計を行う必要があります。
③ 公平性の観点を整理する
- 地域差(都市部 vs 郊外)
- 遠距離通勤の合理性
- パートナー・家族構成との関係
通勤手当は実費性が強いため、他の手当より公平性の議論が難しい特徴があります。
④ 社員への説明がとても重要
住宅手当や家族手当と違い、通勤手当は「毎月確実に発生する費用」であるため、制度改定時の反応も大きくなりがちです。
- 制度変更の理由
- 社会保険との関係
- リモート制度との整合
これらを丁寧に説明することが極めて重要です。
おわりに:通勤手当は「働き方×公平性」が交差する、意外に難しい制度
通勤手当は、表向きは「交通費を支給するだけ」の制度に見えます。
しかしその実態は、働き方の変化や社会保険制度、そして企業の公平性の基準をすべて含んだ、非常に奥の深い報酬要素です。
- 昭和は「企業が通勤費を負担するのが当然」という前提
- 平成は「安定しているが企業負担は増す一方」の時代
- 令和は「働き方の多様化で制度再設計が必要に」
今、通勤手当は大きな岐路に立っています。
制度そのものよりも、「自社はどんな働き方を前提にし、どこまで社員の通勤を支援するのか」という姿勢が問われる時代に入っているのだと思います。
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