文:平康 慶浩(セレクションアンドバリエーション株式会社 代表・人事コンサルタント)
前回の記事では、非上場オーナー企業にとって「人的資本を可視化しないこと」にも十分な正当性があることをお伝えしました。
外部投資家がいないこと、スピードが競争力であること、暗黙知が価値の源であること、そして可視化にはコストがかかること。
これらを踏まえると、可視化は必ずしも万能ではありませんし、むしろ組織の強みを弱めるリスクさえあります。
ではその一方で、それでもオーナーが「そろそろ可視化したほうがいいのではないか」と感じる瞬間は、どんなときなのでしょうか。
私は、数多くのオーナー企業の方と接する中で、その「兆し」のようなものを肌で感じる場面がありました。
今回はそのナラティブ(論理的な順序ではなく、感情を交えた文脈)を、言葉にしてみたいと思います。
組織の「見えないゆがみ」が、現場の負荷になり始めたとき
非上場オーナー企業の現場では、日々の意思決定が高速で行われます。
社長の指示がすぐに現場まで届き、幹部が瞬時に判断し、社員が柔軟に動きます。
このスピード感こそが多くの企業の強みです。
ただ、その速度が長く続くと、組織の中に少しずつ「見えないゆがみ」が生まれることがあります。
- 社長の言葉が人によって違う意味で解釈される
- 管理職が自分の裁量で判断しすぎて現場が混乱する
- 役割が曖昧で、忙しい人とそうでない人の差が極端になる
- 社長が気づかないところで、人材が疲弊し始める
こうした“ゆがみ”は、数字には現れません。
声にも出にくい。
しかし、社員の行動や雰囲気、ミスの増減、会議の停滞などに、確かに兆しとして表れます。
オーナーは、この「兆し」に非常に敏感です。
現場の空気で察する方が多いからです。
この段階で可視化を考える企業が増えてきました。
可視化とは、「ゆがみ」を構造として把握するための道具になるからです。
幹部の負荷が限界に近づき、「属人的運営」の天井が見えたとき
非上場オーナー企業は、創業者や古参幹部の力量によって支えられています。
その背中を見て社員が育ち、価値観を受け取り、現場は動いてきました。
ただ、どの企業でも必ず訪れる瞬間があります。
「このまま属人的なままでは持続しない」
「幹部の処理能力が限界に近づいている」
という気配です。
社員が増え、事業が複数に分かれ、売上が伸びるほど、“個人の力量で全体を把握する”ことは難しくなります。
このとき、可視化は単なる情報開示ではなく、「幹部の負荷を減らし、組織運営を支える支柱」になります。
たとえば:
- 役割を整理することで、判断基準が共有される
- 人材の力量を形式的に把握することで、誰に何を任せればよいかが見える
- 評価基準を明確にすることで、納得感のある育成が進む
属人的に回している限り、幹部の判断は早いですが、人が変わった瞬間にすべてが崩れます。
可視化とは、組織を「人頼み」から「構造頼み」に切り替えるための第一歩なのです。
採用が難しくなり、「自社の強みを説明できない」会社が不利になり始めたとき
ここ数年、非上場企業の採用難はますます深刻になっています。
とくに若手の採用では、候補者が会社を選ぶ基準が大きく変わりました。
- キャリアの透明性
- 期待役割の明確さ
- 成長の見通し
- 評価基準の説明力
これらが企業の“競争力”の一部になっています。
しかし、可視化が弱い企業は、こうした質問への答えが曖昧になります。
- 「当社は実力主義です」
- 「やる気のある人はどんどん成長します」
- 「社長と距離が近いです」
こんな説明では、いまの候補者には響きません。
可視化は、採用の場面で強力な武器になります。
- キャリアの地図
- 評価の理由
- 育成投資の方向性
- 役割の定義
これらを“説明できる状態”にするだけで、候補者の安心度は大きく変わります。
私は、採用で初めて可視化を考えたオーナーの姿を何度も見てきました。
そして、その意思決定はいつも事業の未来を真剣に考えた結果でした。
事業承継や組織承継の「地ならし」が必要になったとき
オーナー企業にとって、最大の転換点のひとつが事業承継です。
後継者をどうするか、誰に何を任せるか、どう権限を移すか。
このとき、可視化の必要性は一気に高まります。
なぜなら、承継には次のような課題がつきまとうからです。
- 経営判断の根拠が暗黙知のままでは引き継がれない
- 人材の力量が見えないと、後継者が誰に依頼すべきか判断できない
- 組織構造が曖昧だと、承継後に意思決定が滞る
- 役割が共有されていないと、世代間の摩擦が起きる
承継とは「関係性の承継」ではなく、「構造の承継」です。
その構造は、可視化されていなければ引き継がれません。
可視化は、承継のための“地ならし”として非常に有効なのです。
組織が“拡張”を迎え、暗黙知の限界が見えたとき
企業が成長していくと、いずれ「暗黙知で回る組織」は限界に達します。
- 人数が増える
- 事業が複数に分かれる
- 海外・新規事業が増える
- 管理職の層が厚くなる
この段階では、可視化をしなければ、次の問題が起きます。
- 意思決定の前提が人によって違う
- 意思決定のブレが起きる
- 幹部が何度も説明しなければならない
- コミュニケーションの摩擦が増える
ここでは可視化は「攻めの経営」の一部になります。
組織を広げるために必要な共通認識の土台として扱われるのです。
可視化は「義務」ではなく、「未来への投資かどうか」で判断すべき
前編で述べたように、
非上場オーナー企業は、可視化しないという選択を取ってもまったく問題ありません。
むしろ、可視化しないほうが強みが生きる場面が多々あります。
ただし、今回お伝えしたように、未来に向けて必要となる瞬間が確かに存在します。
その瞬間とは―
- ゆがみが見え始めたとき
- 属人的運営の限界が見えたとき
- 採用で不利になり始めたとき
- 事業承継を考え始めたとき
- 組織拡張のフェーズに入ったとき
これらの局面では、可視化は“コスト”ではなく“投資”へと変わります。
可視化とは、企業の未来を整えるための整地作業なのだと思います。
ただし、すべてを見える化する必要はありませんし、形式だけ整えても意味はありません。
大切なのは、
「可視化すべき領域」と「可視化しないほうが良い領域」の線引きを、オーナー自身が意図をもって行うことだと考えています。 その線引きこそが、オーナー企業の経営力の表れであり、組織の未来を左右する大切な意思決定です。



