平康慶浩です。
私は人事コンサルタントとして、組織の中で「人と人の関係」がどう変わっていくのかを30年以上見続けてきました。
あらためてそこで感じるのは、制度や評価、報酬の仕組みを変えても、結局のところ成果を決めるのは「人のつながり」です。
その“つながり”を動かす大きな要因のひとつが、「移動」です。
リモートワークやオンライン会議が普及し、移動の必要性が問われることが増えました。
物理的な移動が減った今だからこそ、移動が関係を変える。その力が際立っているように思います。
「紐帯(ちゅうたい)」という、見えない構造
ネットワーク理論という学問があります。
当初日本では、誰が幸運をもたらすのか、という文脈で紹介されていましたが、人間関係の有効性を把握するためにもよく取り上げられます。
私が登壇しているグロービスでも、田久保さん監修のもとで、受講生の皆さんの共著でこのような本が執筆されました。実は私もインタビューを受けていたりします。
ネットワーク理論の第一人者、社会学者マーク・グラノヴェッターは、人間関係を「強い紐帯」と「弱い紐帯」に分けました。
強い紐帯とは、家族や同僚のように、頻繁にやり取りし、深い信頼を持つ関係。
一方で、弱い紐帯とは、知人や元同僚、あるいはSNS上でのフォロワーのように、接触頻度は低くても新しい情報をもたらす関係です。
この二つの紐帯は、どちらが優れているわけではありません。
強い紐帯は安心を生み、弱い紐帯は変化を運ぶ。
会社でいえば、前者はチームワークを、後者はイノベーションを支える。
組織が健全であり続けるには、両者の循環が必要です。
そして、そのバランスを動かすスイッチが「移動」なのです。
「濃くする」力 ― 移動は関係を粘着させる
まず、移動には関係を「濃くする」力があります。
人は、同じ場所で同じ時間を過ごすとき、相手を“情報”ではなく“存在”として受け取ります。
五感を通じて温度や間、沈黙のニュアンスまで感じ取る。
それが、関係を粘着的にする。
私はそれを「身体の同期」と呼んでいます。
たとえば、クライアントとの合宿。
同じ空間で食事をし、議論をし、夜には雑談をする。
その中で互いの“素”が見え、相手の背景や価値観が立体的に見えてくる。
オンラインでは共有できない、無意識の相互理解がそこで生まれます。
私自身、制度改革のプロジェクトでクライアントの現場に入り込むと、会話のトーンがまったく変わる瞬間を経験します。
メールでは硬かった相手が、工場や店舗を一緒に歩くうちに、
「実はここが一番の悩みでして……」と本音を話してくれる。
その一言で、制度の方向性が180度変わることもある。
これは、資料のやり取りでは決して得られない“濃度”です。
移動とは、単に距離を移す行為ではなく、信頼の速度を上げる装置でもあるのです。
「繋ぎ変える」力 ― 移動は関係を再構築する
一方で、移動には関係を「繋ぎ変える」力もあります。
同じメンバーで長く過ごすほど、関係は安定し、そして閉じていく。
見知った顔とだけ話し、似た考えに囲まれて、安心と引き換えに変化を失っていく。
そこに風を通すのが、移動です。
出張、異動、他社との合同セミナー、勉強会――。
新しい人に会うことは、弱い紐帯をつくる行為です。
たった一度の出会いでも、その後の行動を変えるような言葉をもらうことがあります。
人は関係によって考え方を変え、行動によって世界の見え方を変える。
だからこそ、移動は思考を更新するきっかけになるのです。
実際、異業種の経営者と会うたびに、私はどこか一つの考えが書き換わります。
同じ人事領域でも、製造業とIT業、スタートアップと老舗企業では前提がまるで違う。
その違いに触れることが、自分の中の思考回路を“繋ぎ変える”瞬間です。
企業でも同じです。
異動や越境プロジェクトは、単なる配置転換ではなく、関係の再編集。
そこで生まれる「弱い紐帯」が、新しい知識やアイデアを運び込み、やがて強い紐帯と結びついて、組織の血流を変えていく。
移動がなければ、その循環は止まります。
「濃くする」と「繋ぎ変える」のあいだに、組織の生命線がある
組織は、強い紐帯が安心をつくり、弱い紐帯が変化を運ぶことで成長します。
しかし、多くの企業は「どちらか」に偏ります。
強い紐帯ばかりを重視すれば、チームは仲良くなりますが、新しい挑戦が減る。
逆に、弱い紐帯ばかり追えば、情報は集まるが信頼が希薄になり、組織が分断される。
このバランスを動的に保つための仕組みこそ、「移動の設計」だと思うのです。
私の会社では、年に数回の「出会いをつくる出張」と「関係を深める会議」を意識的に分けています。
新しい企業やパートナーと会う場は“繋ぎ変え”のために。
一方、チームで過ごす時間は“濃くする”ために。
このリズムを意識するだけで、組織の空気が明らかに変わりました。
人と人との関係は、固定的な線ではなく、流れる構造です。
だからこそ、移動によって定期的に攪拌(かくはん)する必要がある。
静止した水は濁ります。関係も同じです。
移動は、関係の水を入れ替える行為なのです。
2030年に向けて ― 移動は“関係のデザイン”になる
2030年の日本では、移動の意味が大きく変わるでしょう。
リアルな出社は「毎日行くこと」ではなく、「意味のある日に行くこと」になる。
出張は「会議や報告のため」ではなく、「関係を更新するため」に行われる。
オンラインで会える時代だからこそ、移動の価値は“関係性の濃度”と“関係性の更新性”にある。
物理的な距離を移動することは、デジタルでは再現できない“偶発性”を生む。
偶然の隣席、思わぬ雑談、視界の端に映る誰かの表情。
そうしたノイズが、弱い紐帯を繋ぎ変え、強い紐帯を再生する。
それを意識的に設計することが、これからの人事や経営の仕事になると思っています。
結びに ― 移動は、関係の血流を回すこと
私たちは長い間、「移動=コスト」と考えてきました。
しかし本当は、移動は関係資本への投資です。
人が移動することで、関係は濃くなり、繋ぎ変わり、再び流れ始める。
その循環が続く限り、組織も社会も老いません。
移動を減らすことは短期的には効率を高めるかもしれません。
でも、関係の血流を止めることでもある。
だからこそ、どんな組織にも「移動のデザイン」が必要です。
それは出張規定などではなく、人と人が再び出会い、信頼を更新し続けるための設計です。
移動とは、単なる距離の問題ではなく、人と人との関係を再び動かす力。
私は、これからの人事制度や組織開発の中で、その力をどう活かすかを探っていきたいと思います。

