全社業績は悪くないのに、優秀なコア人材から先に辞めていく。
このような状況に直面したとき、多くの企業では人事改革の優先度が下がりがちです。「業績が出ているのだから問題ないのではないか」という判断が、暗黙のうちに共有されていきます。
しかし、この状態は本当に「問題がない状態」と言えるのでしょうか。むしろ実務の現場では、こうした局面こそが最も構造的なリスクを孕んでいるケースが少なくありません。
本稿では、業績好調という前提のもとで見えにくくなる優秀人材離職の構造的リスクを整理しながら、人事制度改定の必要性をどのように判断すべきか、その考え方と進め方について論じていきます。
- 業績好調でも優秀人材が先に離職する「構造的メカニズム」
- 人事制度の見直しが必要かどうかを判断する診断ポイント
- 制度改定の前に取り組むべき優先順位の考え方
- 全社業績は維持されているが、コア人材の流出が気になり始めている経営者・管理職
- 人事課題を感じているが社内での変革推進に壁を感じている人事担当者
なぜ業績が良いときほど、組織の問題は見えにくくなるのか

業績が好調な局面においては、経営陣・現場ともにポジティブなシグナルに意識が向きやすくなります。売上が伸びている、利益が出ている、採用も回っているといった状況では、退職が発生しても「一定の入れ替わりはあるものだ」「本人の事情だろう」と解釈されやすくなります。
しかし、ここで一度立ち止まって考えるべきは、業績という指標の性質です。
組織業績は「遅行指標」であるということ
業績はあくまで過去の意思決定と組織状態の結果であり、現在の組織の健全性をリアルタイムで反映しているわけではありません。
例えば、コア人材が3〜6か月前から意欲を失い始めており、転職活動を始めていたとしても、今期の業績には影響しないことがほとんどです。むしろ今の業績を支えているのは「まだ辞めていない人材」であり、その人材の離脱が始まっているのであれば、翌期以降の業績に影響が出ることはほぼ確実と言えます。
したがって、
組織業績は遅行指標であり、人材の状態は先行指標である
という構造を理解することが重要になります。この視点を持たないままでは、問題が顕在化した時点で初めて対応を迫られることになります。
重要なのは「誰が辞めているか」という視点
人材の状態は先行指標として、離職率があります。
離職率という指標は分かりやすい一方で、本質的な問題を覆い隠してしまう側面があります。重要なのは、離職の「量」ではなく「質」、すなわち誰が辞めているのかという点です。
具体的には、以下のような観点で整理する必要があります。
- どの職種の人材が離職しているのか
- どの業務レベルの人材が抜けているのか
- どの役職層に空白が生まれているのか
この観点で離職を捉え直すと、それは単なる人数の問題ではなく、組織の役割構造の歪みとして理解できるようになります。
例えば、初級業務を担う人材が一定数離職しているのであれば、採用や初期育成の問題として整理できる可能性があります。一方で、中核人材や管理職候補層が継続的に流出している場合、それは明確に組織の競争力を毀損する構造的問題です。
さらに重要なのは、優秀な人材ほど本音を語らずに離職するという点です。評価への不満、成長機会の不足、報酬への違和感といった要因は、「一身上の都合」という表現に置き換えられることが多く、組織側には問題の兆候が正しく認識されないまま時間が経過してしまいます。
「入れ替わり」と「空洞化」は意味が異なる
仮に、離職率の水準が同じでも、その影響度はまったく異なります。
若手が入社後一定期間で退職するサイクルが続いている場合と、組織の中核を担う5〜10年目の層が流出している場合とでは、組織へのダメージの性質が根本的に違います。前者は採用・育成の仕組みを整えることで対処できる可能性がありますが、後者はノウハウや顧客関係性といった組織資産の流出であり、回復に長い時間を要します。
また、コア人材が抜けた場合でも、短期的には業績が維持されることがあります。これは残った人材が過剰に負荷を引き受けて補完しているためです。しかしこの状態が続くと、負荷の集中、モチベーション低下、さらなる離職という連鎖が発生し、結果として組織の基盤そのものが弱体化していきます。
なぜ問題が認識されていても改革は進まないのか

短期業績が「現状維持」の判断を生む
ここまで見てきたように、構造的な問題は確実に存在しているにもかかわらず、多くの企業で人事改革が進まない理由は明確です。それは、短期的な業績が維持されていることによって、「今はまだ大丈夫」という意思決定が正当化されてしまうからです。
業績が悪化していれば、改革の必要性は明確になります。しかし、売上は維持されている、利益も出ている、顧客も離れていない、このような状況では、「今はまだ大丈夫」という判断が生まれやすくなります。
問題が表面化しない間に、組織の体力は失われる
しかし、この状態は「問題がない状態」ではありません。
人材は徐々に抜け、ノウハウは蓄積されず、組織の再現性は低下していきます。それでも短期的には業績が維持されるため、問題の深刻さに気づきにくい構造があります。
これはいわば「静かな組織の空洞化」とも言える状態です。表面上は安定して見えても、組織内部では競争力の基盤が少しずつ失われていきます。特定の個人への業務集中が進み、その人材が離職した瞬間に業務が機能不全に陥るリスクが高まっているケースは、支援現場でも頻繁に見受けられます。
変革の出発点は「事実に基づく危機認識」である
組織変革の理論においても、最初のステップは常に同じです。
それは、危機意識の共有、いわゆる「解凍(Unfreezing)」のプロセスです。
ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・コッターが提唱した「変革の8段階プロセス」でも、第一歩は「危機意識の醸成」とされています。また、クルト・レヴィンの変革モデルにおいても、現状を「このままではいけない状態」と認識することが変革の出発点です。
ここで重要なのは、感覚や印象ではなく、事実として示すことです。例えば、1人の中核人材が離職した場合の影響を分解すると、採用コスト、教育コスト、生産性低下、顧客関係への影響など、複数の観点で損失が発生します。
離職コストを役割ベースで可視化する
さらにこれを「1人」という単位ではなく、「どの役割を担っていた人材が抜けたのか」という観点で整理することで、初めて経営リスクとして認識されます。役割ベースでの影響可視化は、改革の必要性を経営層と共有する上で有効なアプローチです。
たとえば、1人の中核人材が離職した場合の影響を積み上げると、以下のようになります。
- 採用コスト(求人広告・エージェント手数料):50〜150万円
- 教育・習熟コスト(研修・OJT期間の人件費):100〜300万円
- 引き継ぎ期間中の生産性低下
- 顧客対応品質の低下・関係性リスク
これらを積み上げると、1人の離職が数百万〜数千万円単位のコストになるケースも珍しくありません。さらに、管理職候補や専門職人材であれば、代替が効かないポジションとして損失はより大きくなります。
単なる「1人の離職」ではなく、「どの役割を担っていた人材が、どのくらいのコストとともに抜けたか」という観点で整理することで、経営にとってのインパクトが初めて明確になります。
変革は「構造」からしか始まらない
制度の部分修正では本質的な変革にならない
危機認識が共有された後に重要になるのが、どこを変えるかという論点です。ここで多くの企業が陥るのが、制度の部分的な修正に留まってしまうことです。
- 評価項目を変える
- 給与テーブルを見直す
- 研修を増やす
こうした対応はもちろん必要ですが、それだけでは本質的な変革にはつながりません。制度を変えても、それを運用する組織の構造が変わらなければ、人の行動は変わらないからです。
業務と役割の構造そのものを見直す
重要なのは、業務と役割の構造そのものを見直すことです。たとえば、以下のような観点で整理してみてください。
- 高度な業務を担う人材が不足している → 抜擢・登用の仕組みを整える
- 挑戦する機会がない → チャレンジできる役割設計にする
- 業務が属人化している → 業務分解と役割の再設計を行う
等級制度・職務定義・評価制度・報酬制度は、いずれもこの役割構造を反映するツールとして位置づけられます。制度から入るのではなく、役割構造の整理から着手することが、変革を成功させる鍵です。
変革とは制度の修正ではなく、役割構造の再設計なのです。
「やりがいはあるのに辞めている」場合にも潜む構造問題
ここまで役割構造の観点から離職を捉えてきましたが、実務の現場ではもう一つ、見落とされがちな重要なケースがあります。それが、「仕事自体には納得しているにもかかわらず辞める」というパターンです。
仕事内容にはやりがいがあり、業務レベルにも納得しており、成長実感もある。それにもかかわらず離職に至る場合、問題の本質は仕事内容ではなく、役割と処遇の不整合にあることが多いです。
実際には高度な業務を担っているにもかかわらず処遇は年次相応に留まる、あるいは評価基準自体が役割と一致していないといったズレが生じる。この違和感は、特に優秀な人材ほど強く認識します。
ここで重要なのは、「やりがいがあるのだから辞めないはずだ」という前提が必ずしも成り立たないという点です。人はやりがいだけで働き続けるわけではなく、報酬もまた重要な要素です。
報酬は衛生要因であり、不足すれば強い不満につながります。そのため、役割・評価・処遇の整合性が取れていない場合、やりがいがあっても離職の引き金になります。
もちろん、処遇の見直しは原資や公平性の観点から慎重にならざるを得ません。しかし重要なのは、「処遇を上げるかどうか」ではなく、役割と処遇が構造として整合しているかどうかです。
したがって、このケースにおいても問題は制度の有無ではなく、変革は制度の修正ではなく、役割構造の再設計からしか始まらないのです。
それでも今、改革に着手すべき理由
業績悪化後では選択肢が大幅に限られる
ここで改めて、最初の問いに戻ります。「業績が悪くない今、改革は必要なのか」この問いに対する答えは、むしろ明確です。今だからこそ必要です。
第一に、業績が悪化してからでは選択肢が大きく制約されます。コスト削減や人員整理といった対応が優先され、構造的な変革に必要な投資や時間を確保することが難しくなります。
もうひとつ重要なのは、人事制度は即効性のある施策ではないという点です。
等級制度や評価制度を設計・導入し、新しい役割設計を組織に浸透させ、人の行動が変わり、それが業績に結びつくまでには、通常2〜3年以上の時間が必要です。
つまり、問題が顕在化してから動き始めると、実際に効果が出るまでにさらに長い時間がかかります。「今は大丈夫」という判断が「もう限界」に変わるころには、改革の効果発現まで数年待つことになります。
つまり、人事改革は「余裕があるときにしか丁寧に進められない施策」であり、現状維持が可能な局面こそが着手すべきタイミングなのです。
まとめ:改革の本質は「構造を直視すること」
「人が辞めているのに業績が悪くない」という状態は、一見すると安定しているように見えます。しかしその実態は、組織の内部で歪みが蓄積している状態です。
本稿のポイントを整理します。
- 組織業績は遅行指標であり、コア人材の離職は翌期以降の業績低下として遅れて表れる
- 優秀な人材ほど本当の退職理由を明かさず沈黙して去るため、組織側は問題の深刻度を過小評価しやすい
- 制度改定の要否を判断するには、まず「誰が辞めているか」「現行制度が機能しているか」「市場との乖離はないか」の3点を診断することが先決
「まだ業績は悪くない」を理由に先送りするのではなく、今の段階で原因を診断し、優先順位をつけて動き出すことが、組織の持続的な競争力を守ることにつながります。
本稿に関するご質問や、人事制度の設計・見直し、組織構造の整理については、セレクションアンドバリエーションまでお気軽にご相談ください。
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よくある質問
Q. 業績が出ているうちに改革を始めると、かえって現場が混乱しませんか?
A. 進め方によります。業績が維持されている時期は、試行錯誤しながら段階的に変革を進める時間的・財務的な余裕があります。一方、業績が悪化してからでは「緊急」での対応が求められ、現場の混乱は避けにくくなります。計画的に段階を踏んだ変革であれば、業績好調時のほうがリスクを最小化できます。
Q. 制度を変えれば、コア人材の離職は止まりますか?
A. 制度改定は必要条件ですが、十分条件ではありません。制度を変えても、管理職のマネジメントスキルや組織文化が変わらなければ、根本的な解決にはならないケースが多いです。制度改定と並行して、評価者訓練や組織診断を行うことで、より実効性の高い取り組みになります。
Q. オーナー企業では改革の合意形成が難しいと感じます。どうすればよいですか?
A. 経営者に「感覚」ではなく「数値と構造」で示すことが有効です。離職コストの積み上げ、役職層ごとの人材状況の可視化、中長期的なリスクシナリオの提示など、データに基づいた説明が合意形成の起点になります。「人事の問題」ではなく「経営リスク」として提示することがポイントです。
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